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からだにいい「清掃人」入門体験風
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17 でも しか じゃ掃除はできないぜよ
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第十七章
清掃論
『あなたにとって清掃とは何ですか?』
渋谷駅前のスクランブル交差点を渡り終わったところで、テレビカメラとマイクを突き出されてこんなことを聞かれた、ら?。
ここではよくお目に掛かる光景である。どんなことを聞かれているのか近づいて聞いてみたこともないけれど。だから私にも、もし、であってもこんなことを聞いてくることはまずないのだろうけれど、でも私は、いつでも何と答えようかと考えて楽しんでいる。
「あなたにとって清掃とは何ですか」
「そうですね、(あまりすぐに答えるのもおかしいので、まずそう言ってから、少し間があって……)見た目と臭いのカタルシスでしょうかね」
視覚と嗅覚というのとちょっと違うのだ。
タバコの吸い殻が散乱し、床にへばり付いたレシートやカード類、風にヒラヒラするタバコのパッケージのセロファン、コンビニの袋などが片づいて、水を撒かれた外回りは、マイナスイオンが漂うように水気が残っている。通行人の中にはそこを通るのを遠慮して、少し遠回りして歩道に降りる人もいる。
朝のオフィスビルの廊下によどんでいた昨夜からの空気は、ポリッシャーで洗われ、ワックスをかけられて、こんなにこの廊下は長く、平らだったのかと思われ、ワックスを乾かす扇風機によって、風までが吹きぬけていったようだ。
「きれいにしようという気持ちでやらないと掃除は成立しない」というのが、当たり前だけれど私の持論でもある。掃除は誰にでもできるけれど、きれいに出来るか、は誰にでも出来るものではない。
やり終わった現場を見て“おや、きれいになったじゃない”と思えるから、ほら、例の帰りの電車のチューハイがうまいのですよ。「清掃とはなんでか」の質問に、私の各論の答えをいくつか挙げてみたいと思う。
この原稿でも『清掃』と『掃除』とをごちゃまぜに使っているように思うが、改めて辞書を調べてみた。私が今も使っているのは『岩波 国語辞典 第三版』
1979年12月4日発行 ¥1500 編集プロダクションに就職した頃で、30年以上も使っていることになる。で……
(五十音順に)
『清掃』きれいにそうじすること。
『掃除』ごみやほこりを、はいたり払ったりなどして取り除き、きれいにすること。──や(掃除屋)こえとり。おわいや。▽現在では使われない語。
そうか、オレ達の大先輩は『おわいや』だったんだ!。私が子供の頃は『汲み取りや』とも呼んだ。当時の我が家の便所は汲み取り式、一ヶ月おきくらいに、牛に引かせた台車に肥桶を乗せて〝もっこ〟にかついで、おわいやが来たものだった。父親に糖尿の気があるのではないか、と教えてくれたのが、そういえばおわいやだった。そう、臭いのカタルシスではないが、臭いの判断士でもあったおわいや。
そういえば、大学受験勉強中に、古い家で根太が腐っていたか、便所の床板が壊れて便壺に落ち、あわや片足も突っ込みそうになり、思わず両親に“縁起でもねえ、落っこちるとこだった”と怒鳴ったら父親がぼそっと、“いや、ウンがつくのかもしれない”と言ったのを思いだした。そう、私はおかげで2校に現役合格した。バキュームカーが我が家に来るようになったのは、だから早くても昭和45年以降ということになる。掃除屋の仕事は、この頃には終わっていたのかもしれない。
こう見てみると、掃除という言葉の方が早くからあったのだろうか、掃除の方がより具体的で、清掃とは、何か素っ気ない。ことば遊びのようだが、気が付いたのは掃除には〝お〟がつけられる。おそうじ、おせいそうとは言わない。同じような意味で違った文字を使うものに、他にどんな例があるかしばらく考えてみた。
〝お勉強〟 〝(お)研究〟
〝お免状〟 〝(お)免許〟
〝お料理〟 〝(お)調理〟
〝お説教〟 〝(お)説諭〟
〝お稽古〟 〝(お)練習〟
まだあるかもしれないが、気分的には〝お〟のつくことばの方が〝からだ的〟という感じがする。
定期清掃の作業では、ポリッシャーは清掃、水まき、モップがけは掃除、オシッコ、ゲロ、ウンコの始末は掃除、なんだ、やっぱり私は〝おわいや〟の後輩じゃないか。
『汚いことは誰にでもわかるが、きれいになっていても誰にも気がつかれない』
9時半過ぎには一通りの作業が終わって、見落としがないか、忘れ物をしていないか点検する。玄関や外回りは、作業が終わって30分もしないうちに、コンビニの袋が飛んできていたり、カラスが家に帰る前の最後っ屁、いや糞ともいえる黄身のない目玉焼きがおちていたりときりがないが……。室内では机の上を拭き、ゴミ容器そのものにかかったコーヒーの跡などを拭いて、作業を終わる。
照明を消す前が、今日の達成感の一時だ。次にこの照明をつけるのは最初に出勤してきた社員の一人だ。が、おそらく“きれいになっている”と感じて辺りを見回す人はいないだろう。昨日の帰りがけに落としたクリップも、灰皿に落としたつもりの吸い殻の灰が机にこぼれたのも、ゴミ容器に捨てたコーヒー缶から少しの残量が床におちたのも、意識にはない。室内を汚したという感覚は誰にもない。
これがもし、掃除の入っていない状態の室内に灯りを入れたら、その汚れぶりに驚くだろう。ほんとうは、こんな日を作って、私たち掃除のオジサンやオバサンの毎日の仕事ぶりをアピールしたい、と思わないでもないが。毎月一回の掃除をしないデー! これストライキか?
『清掃にセンスは必要か』
3割、30ホームラン、30盗塁の結果を残すほどの野球センスの持ち主、だとか、アクセサリー選びのセンスがよくていつもおしゃれ、とか、料理のセンスがあっていつもおいしいものを作る、とかいろいろに使われる五感。ところで“あのオバサンは掃除のセンスがあっていつもきれいになってる”と同じようにいえるだろうか。掃除にセンスは必要だろうか。
しかしベースボールもファッションもクッキングも、そのセンスとは何なのか、具体的なものは、感覚の問題だから、見えてはこない。全ては結果オーライなのが“センスがあったから”と言えるなら掃除にもセンスは存在する。階段にモップをかけていても段差の隅はモップに手を添えて拭きあげる、床に黒いモノがあればケレンでこそげ取る……細かい仕事はいろいろあるが、これはどうもセンスというより徹底した気配りという方があたっているようにおもえる。
私の「人を見るセンス」からいえば「午前中に家に居たくないオバサン」の方に軍配を上げる。例えばオバサンたちは同じバスケットに必要道具を入れて持ち歩くのだが、このオバサンのバスケットは一目見て分かる。きちんと並べられ、タオルが色別に重ねられ、小さなテディベアの付いた名札を付けている。それだけである。
作業に入る場所に必要なタオルを重ねて置いていき、使ったタオルはビニールの袋にこれまた畳んだまま収納していく。事務所に掛かっている額縁の上を、バイブレッシャーというソフトな拭き用具である布地で拭いているのを見かけたこともある。この布は会社で支給されたものではない。それだけである。
“私はきれいにしています”とアピールしている訳ではないが、見心地がよいのである。前にも書いたが、出勤時もおしゃれである。
最近のある月刊誌に女性ライターが『貧困就活』をテーマにした寄稿した記事を読んだが、中で“これでダメな私も掃除のオバサンにでもなるしかない”と書いていた。もちろんオジサンでもそうなのだが、確かに掃除は、寄ってすがる最後の砦、といったところがある、いや、あった。
60歳を過ぎてムリな運動や作業をすると、節々の痛みが2~3日経ってから現れるといったことがあるが、清掃業界も痛みが現れるまでが遅いようだ。20年暮れ、不況による派遣切りが問題となって『派遣村』なるものが連日ニュースとなった。がしかし、我が清掃業界は(私は正確には業界の人間ではなく単なるパートなので、実情は知らないが)まだまだ、人材募集は続けており、仲間内でも“そんなに仕事が欲しけりゃ、掃除にくればいいのにねえ”なんていう話をしていたものだった。
しかし、事件である!
今月の給与明細にプリントが同封されていた。何と『時給50円カット』のお知らせである。“オイオイ、パートの時給下げるなんてお前ダイジョウブかよ“と会社に声をかけたいと思っていたら、らら、同じ月末にライブハウスの清掃を10分の8、カットという通告が本社にあったという。自分たちスタッフで清掃をするのだという。
『会社で大便をするな』という男性週刊誌を読まれた同輩もおられるかもしれない。私も見出しにつられて買ったが、曰く『会社で大便をすると一回に10円未満の水道代がかかる。トイレットペーパーも減る』更に『会社でのゴミは持ち帰り、駅かコンビニで捨ててこい』などという経費節減なんて生やさしいものではなく、自ら貧困会社の看板を掲げるような、モチベーションゼロの会社も出始めたとか。
同記事では一人のベテラン清掃員を解雇すると月に17、8万から22、3万の節減になると、実施に踏み切る社も出ているという。“なんだオレ達のことじゃないか”と妙に説得されてしまったのだが、上があった。
かなり昔の新聞のコラム、『朝食もトイレも経費節減──自民党』を見てしまった。曰く──自民党は今月二日、「紙廃止」のお知らせメールで全職員に通知。程なく党本部のトイレから、手拭き用ペーパータオルと紙製の便座シートが消えた。朝食や備品だけでなく、党本部の警備員などもリストラ対象に挙がっているという。──ただ一連の節約策には「トイレで一体どれほどの効果があるのか」(中堅職員)との声も漏れる。
民間企業に比べて遅い! がやっぱり、ここでもやるんだ。でも、ここでは清掃はどうなっているのだろう。
話は戻るが、ライブハウスの10分の8のマイナス分はどうなるか。チーフは四苦八苦である。こうなると、日頃の仕事の腕が生き残りの差を分けるのは清掃だって同じである。外回りの仕事を週に3回担当していた自称ミュージシャンの30代の男、2時間の作業開始時間が一定せず、とにかくタイムレコーダーを押した時間から2時間を過ごす、といった甘やかしも悪かったが、早朝6時厳守の仕事場に移動、という命に抗せず引退。通常1時間半はかかる玄関の作業を40分で終わらせる“私は10年清掃をやってきた人間、あれこれ指図しないで欲しい”とすごんでいたオバサンも突然の移動!
ライブハウス10分の2の私は、ミュージシャンの後を襲って、これからの季節、寒風の早朝6時からの外回りの水掃除を拝命! 巻頭で書いたことのある、ウレタン製の長靴を物置から掘り出し、防寒着も納戸の奥から復帰した。私の仕事も振り出しに戻った感がする。
『60代筋肉痛後現症』理論からすると、ようやく清掃業にも世間並みの景気動向が現れてきたようだ。そうだろう、業界を支える掃除のオジサン、オバサン、圧倒的に60代が多いのだから。
デモ、シカでは掃除なんかできないぜ、この時代。 |
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