やましたさんちの玉手箱
ジャックの記事
連載
01 60歳代で仕事がなくなるあなたへ
02 いつだって 監督の目を意識しろ
03 誰にだって、過去はある
04 家に帰り着く前の酒は なぜこんなに旨いのか
05 五度目の就職 ブルーカラーだ
06 私は清掃員か 清掃夫か はたまた清掃師?
07 言葉で教える、難しさ 例えばさあ
08 重力でゲロをコラエル 清掃こそが運動だ
09-1 いっけねえ ぶっ壊しちゃった その一
09-2 いっけねえ ぶっ壊しちゃった その二
10 大 しながら流す 小 座ってする あなたどっち派?
11 今時はやらないけど ウンコには紙だ
12 転職 清掃のプロに一歩踏み出す
13 ヒワイ ゲロ ウンコ 話の合う おばんたち
14 皆さん、床に落とした物は拾いましょう
15 口笛ふいてバキューム掛け 掃除に音楽は欠かせない
16 タバコとガムの捨て方 ゲロの吐き方 お教えします
17 でも しか じゃ掃除はできないぜよ
18 あとがき
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からだにいい「清掃人」入門体験風

15 口笛ふいてバキューム掛け 掃除に音楽は欠かせない

第十五章 
汚いようには見えないのに
やらなければならない掃除はハリがなくつらい

 首都圏のJR、私鉄の各駅はバリアフリーが進んでいて、改札階からホームへのエレベーターの設置が多くなっている。乗降の際に気になるのが、ステンレス部分の汚れだ。現在のビルの清掃の仕事を始めるまでは気にもならなかったが、エレベーターの拭き掃除をするようになってからは、まずそこに目がいくようになった。
諸兄 アンド 諸姉妹、ホームから改札階に昇降するエレベーターに乗って、階数ボタンを押す時、周りに手の跡が付いているの、見たことありますよね、ない? 無い人は清掃の仕事、就かなくていいです。

 手が触れた跡、というのは消えにくいもので、当然汚れがひどくなれば洗剤で落とさなければならないのだが、そうならないようにゴシゴシと、いやソフトに拭いてやる必要がある。駅の施設とは乗降の客の数が圧倒的に違うし、作業員の勤務時間中に仕事をするのは難しいだろうと思う。が、これこそ習慣的に続けないときれいなエレベーターではいられない。駅で利用するたびに、思わずハンカチを取り出したくなる。

 なんて言っていても、自分のデスクの上はこぼしたお茶が薄いシミとなり、かじったクッキーの粉が散らばり、古いミニコンポの黒い周囲はうっすらと霜が降りたようにほこりが目立つまで拭き掃除なんてしないもので、なんとお金を戴く仕事とは違う物だと妙に納得してしまう。

 ライブハウスの楽屋の姿見は毎朝磨いているのだが、家内のベッドサイドの三面鏡!(これもう死語になっているのではないか、40年前、結婚した直後に買った物だ)近づいて見ると、これでよく顔が見えるものだというくらい、鏡がシミだらけだが、家内は今でももちろんこれに向かって化粧している……。いまさら私が拭いたりすると嫌みになると思って放ってあるのだが。

 継続は力、と言うが、正にエレベーターとエスカレーターの拭き掃除ほど、毎日の作業が大切な物はない。
 しかし、一見して汚れが目立たないものを掃除する、というのもなかなかつらいものだ。汚なければ、嫌な思いをしながらも〝達成感〟が得られるのだが、作業が終わってもタオルが汚れるわけでもなし、ためつすがめつ、みつめても、きれいになっているのかどうか分からない、というのはけっこうつらい。

 もしかするとメークアップと違って、若いお肌を保つように、と毎日、それこそきれいなドレッサーの前でお肌の手入れをする女性の習慣と同じなのだろうか、「鏡の前の私」が毎日美しくなっていくわけではなくても、それは続けなければいけない。とすれば、おばさんたちはけこう嬉々としてやっているのかもしれない。私には、これが一番つらい仕事なのだが。

 継続、といえば、このビルの仕事を始めて、初めて、毎朝同じ時間の電車の、なぜか同じような座席に座り、その座席に誰かが座っていると、なんでおまえが、と少し不愉快になりながら、ほぼ毎日同時刻にタイムレコーダーを押す、というのは私には全く初めてのことだ。
 いわゆるサラリーマン経験は、出版社勤務の10年間だが、当時は出勤簿に判を押すだけで、出社も退社も時間も全くばらばらであった。もちろん毎日が残業で残業が記録にも、お金にも残ることなど無かった時代であった。独立して仕事をするようになって、もちろん同じような時刻に出社はするものの、ある程度は気ままな時間で過ごしてきたわけで、判を押さずに判で押したような生活は初めてといってよい。

 仕事を一通り覚えるまでのしばらくはさして気にならなかったが、この出勤スタイルが除々にストレスになっていくのが分かるようになった。私は自分でストレスには無縁な人間だと思っていたのだが、就寝はともかく、朝の目覚めが不快になってしまってきた。曜日によって多少は代わるが、仕事場も仕事も毎日の繰り返しというのがつらくなってきた。

 実は気分転換を計ろうと思ってラジオ付きのボイスレコーダーを買い、イヤホンを耳に突っ込んだのだが(早朝の誰もいない仕事場だからま、いいか、と)初めに入るライブハウスは地階で音波は入らず、二番目に入る三階のPRショップではバキュームの大きな音でラジオどころではない。I.podとも考えたが、ヘッドホン付けての仕事はいくら人が居ないとはいっても、そりゃあんまりだ、とあきらめる。

 仕方がないので、毎朝思いついた歌を口笛を吹きながらやるのがせいいっぱいの方法だ。しかし、口笛を吹くというのも以外に体力がいる、バキュームを引きずりながらでは5分ももてばいい、あとはハミングになる。因みに、調子を出そうと意識的にやるのは「アメリカンパトロール」や「アーシイレリニ」(これはトルコの軍隊の行進の際に使われる独特の、かん高い、引きつったようなパイプと腹に響くような太鼓の音。三拍子に合わせて横向きで行進するという、アレ……随分前になるが、テレビドラマ、向田邦子の「阿修羅のごとく」のテーマ曲になったものだった、と思う。

 ちょっと横道……この曲を本場で聴きたくて、イスタンブールの『軍隊博物館』での軍楽隊の演奏を聴いてから、さらにこの曲が耳から離れなくなったのだが。ことのついでに脱線……この演奏の時、日本人観光客が何人かいたからだろうか、この演奏スタイルで『さくらさくら』を奏でてくれた。それ以来、私はこれこそがオリンピックや外国と対戦するときの日本の応援音楽だ、と思ってやまなくなったのだ。

バキュームをかけているときは同じ調子で続けていくので、この曲のようなリズムがいちばん合っている。小さなごみを逃さないように目を凝らしてやるので童謡『かわいいかくれんぼ』なんかも口をついて出る。
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