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からだにいい「清掃人」入門体験風
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05 五度目の就職 ブルーカラーだ
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本文第五章
履歴書に説得力なし
ま、パートには自負心など関係ないが
清掃員募集
月に10程度の出勤
9時より17時 時給1000円
60歳位まで 経験不問
制服貸与 交通費支給
電話連絡の上、履歴書(写真貼付)持参ください
正確に写しておいた訳ではないが、私が新聞の求人欄で見た内容はこんなものであった。
この当時、10数年続けていたある金融機関の広報誌の仕事が打ち切りとなり、友人が社長を務める流通関係の隔月刊の業界紙の原稿整理と印刷用データ作りと、家内が担当していたあるスーパーが発行する料理月刊誌での、地方の料理取材に月の内2~3日同行するだけで、暇を持て余しはじめたところだった。
私の直接の仕事の実入りが少なくなれば、定収入のある家内の懐具合に小遣いが制限されることになる。二人の仕事の割にはしっかりとした計理士を頼んでいたので、彼から、ある程度領収書がたまった段階で精算をして、会社から小遣い(いや経費)を調達するという方法を、家内を通じて申し渡されるという生活が始まったところで、暇な割には落ち着かない日々が続いていた。
私は求人欄を見たこともないし、そういえば履歴書というものを書いたこともなかった。思い立って職歴をメモしてみた。
私のある程度正確な職歴を書くと(この作業はこの時期のすぐ後で、老齢年金受給のための正確な職歴を調べるための際に役に立つことにはなった)、大学卒業後、婦人雑誌社の編集部に10年在籍、雑誌が休刊となって退社。当時の退職金は月給の在籍年数分でおよそ100万。3ヶ月間は遊ぼうと、1カ月かけて旅行をしたが(東名高速が出来たばかりでバスで名古屋に向かったのが旅の始まりだった)、帰った時には既に、次の勤務先が友人の手で準備されていた。社員10人ほどの印刷物の制作会社、断るのも悪いので入社して5年。この会社、親会社的得意先の倒産により連鎖。
この会社で私が担当していたちょっと危ない化粧品の輸入会社、社長と専務と女子社員のみの会社に〝部長〟として入社、半年後に〝常務〟に昇格。3年間、全くの畑違いの仕事で全国の卸問屋の商品説明会に走り回る。社長曰く“お前は商品説明は実にうまいが、買ってくれとはいつも一言も言わない”と。
私の年金記録にはこの会社は入っていない。空白の3年間だと思われる。
そろそろ〝インクの臭い〟が恋しい! と思い始めた頃、先輩が経営する編集プロダクションに誘われて“お前に裏切られるとは思わなかった”と脅す化粧品会社の社長を振りきって転職。
この会社で、初めて書籍を作り、いわゆる企業情報誌を作り、企画書作りを覚えた。5年目、月刊誌の編集をある出版社から受託することになり創刊編集長に、週に一回帰宅出来ればいい、という日が続いて1年、家内から“こんな仕事はやめてください”といわれ“それもそうだ”と退職。在職時世話になった広告代理店の担当者に勧められて独立〝誰でもなれるのは社長〟となる。
因みに初めて就職した出版社は後に破産。編集プロは私が退職した翌年倒産、私の年金記録に残る3社はいずれも倒産してしまった。
清掃会社に電話をしようと思ったのは、月に10日くらいの出勤という不定期さが今の私の仕事の不定期さに合っていそうだ、とでもいおうか。実は日曜、月曜に掲載されることの多い新聞の求人広告の『中高年』の欄には、私にできそうなものがほとんどない。
目に付く物は『夫婦住み込み管理人』だがこれは無理。『テレホンアポインター 内勤営業』というのもある。私の商品説明はうまい、と化粧品会社では実証済みだが〝売る〟ことにかけてはからきし自信がない。『銀行内の案内』はデパート勤務者優遇、などとあって、私は芝居は出来そうだが、本心まじめなタイプではないし、第一に紺のスーツはまったく似合わない。
要は〝特技〟というものがない。履歴書の項の『賞罰』も、『免許』も無い。教えるのも教わるのも嫌いなタチで、運転免許もなければ、スキーも自己流、ゴルフも嗜まない。おそらくこの清掃員募集の求人広告に『研修○日間』などとあったら、電話をかける気も起こらなかったろう。『体を使う仕事』しか、私にはなかったのだ。幸い、10キロくらいになるカメラバッグに三脚、ストロボスタンドと旅行鞄で全国を歩いてきた健脚は残っている。
“早速、明日でも、履歴書を持っておいでください”という返事で、履歴書を買いに。そういえば今までの何回かの就職は、ナアナアでやってきたので履歴書を書いたことがない。
履歴書を前にして、しばらく、どうしようか、考えた。小・中学校は省略して、高校卒から書けばよいことは見本で分かる。東京の私立大学の、ちょっと変わった専門学部を卒業しているのだが“こんな大学を卒業して、清掃作業のパートに応募してくるのはどんなヤツか“大卒なんかだと扱いにくい”なんて思われないか。“そんなことを考えている私が、この会社に失礼なのではないか”などと、妙に自意識を働かせてしまったのだ。結局“だーれも、そんなことに気を回す人なんかいやしない”と決断、大学名を記入。
職歴でまた考える。
渡り歩いた会社にいろいろストーリーはあったが、ここはすっきりと
婦人雑誌社勤務
編集プロダクション経営の後 現在フリー編集者
賞罰 特技 免許 特になし
翌日面接に。「総務の担当者ですと言って」、履歴書を預かった担当者は、ここまでの交通手段と片道運賃を聞いた。私鉄とメトロの乗り継ぎを説明し、片道350円と告げると担当者は履歴書を持って室外に。再び現れると、プラスティックのトレーに500円玉1個と100円玉2個を乗せて、ここまでの交通費です、」と渡された。
面接を受けて分かったのは、この会社はある金融関係の関連会社であること。従って、金融店舗やオフィスの清掃を、また同じ関連の不動産管理会社のマンションの清掃が仕事の中心であること。
仕事には、オフィスビルやマンションに日常的に勤務する「日勤」と呼ばれる作業(主として女性が多い)と、月に一度、あるいは隔月と、床を清掃する「特別清掃班」があること。私はこちらで、だからマンションや店舗清掃に当たる日で社員でメンバーが不足する日に、一員としてとして放り込まれること。
なるほど、金銭には几帳面なのだ。
仕事は10日ほど前に連絡があるので、都合が悪ければ断っていい、ということはとても都合がよかった。面接で担当者は“少し体にきついかもしれませんが、とにかくやってみてください。もう一つ、作業員はみんな比較的若い者が多いので、仕事を言いつけられていやな思いをしたりしないように”ということだった。どうやら定年退職者年代はこの辺りがいちばんのネックになるようだ。
この点、私の今までの仕事では、担当編集者、あるいは発注者は若くて、ナマイキな(いや、仕事の良くできる)人間達や、PR誌のプレゼンに立ち会う担当者は、こちらの弱点ばかりを突いてくるような人も少なくなかったから、人間関係には自信があった。私の仕事のモットーは《言われてなんぼ》であったから。ついでに言うと、私が今までやってきた仕事のパターン(わたし流の選択の仕方だが……)は
1 予算がよければ、多少いやなことでも我慢して引き受ける(これは常識範囲)
2 金は安いけれど、仕事は面白そうだから、赤字にならなければ喜んでやる。
3 赤字になるかもしれないけれど、担当者が楽しいやつだから面白くやる。
……のどれかに当たっていたと思う。
採用かどうかは後日連絡、というのにもびっくりしたが、まあそんなものか。が、翌日「採用」の連絡。こんどの会社は倒産はないだろうと思いながら、5度目の就職を祝う。わたしの肩書きは『パート清掃作業員』。ブルーの制服を貸与される○歳のブルーカラーの誕生であった。 |
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