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からだにいい「清掃人」入門体験風
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04 家に帰り着く前の酒は なぜこんなに旨いのか
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第四章
一日の苦労は
一本の缶酎ハイで足れり
午後の作業は休憩時間の3時頃までに終わらせるのが目安となる。3時過ぎには幼稚園児を乗せたバスが帰ってくるのでお母さんたちが廊下を歩き始め、小学校の低学年はそろそろマンションに帰ってくる。作業や道具類で事故を起こしてはならないので、時間と人の流れに気を遣いながらの作業となる。
3時の時点で残っている現場があれば、主任が集中的に人をやって完了させる。
作業が終了すると各自の道具類を洗い場まで降ろす。今日の私は50メートルの耐圧ホースをまとめなければならない。直径1メートル程度の輪状にまとめるのだが、そのまま巻くと水がホースに溜まり、帰りの車中を水浸しにするので必ず水抜きをする。
マンション作業の場合は、ホースの先端から先を2階分ぐらい下げて、タオルで拭いながら巻いていく。〝水は高きから落ちる〟のである。
地上で作業が終わった場合は、ホースを延ばし、先端から頭上にかざして、目の前のホースを前に前にと持ち上げながら50メートルを歩いていく。子供達が見たら、運動会の大玉運びの練習をしているように見えるかもしれない。家庭でも、コミュニティーでも、ホースを使った後始末にはこの作業が必要だ。
各自が使った道具を一カ所に集めて、水洗いする。ポリッシャーの水を抜き、延長コードを巻き、ウエットバキュームはふたをはずして洗い、、拭き、モップを洗って絞り上げ(かなりきつく絞り上げないとこれも車中の水浸しのもとになる)……日の落ちた吹きさらしの水場での最後の作業もつらい。
私はこの日、水洗いからは解放されて、ゴミ集めに回った。洗い終わった廊下に点在する排水溝のゴミを回収するのだ。自分たちで流したゴミは自分たちで片づける。スーパーでもらう少し大きめのビニール袋を下げて、上から清掃コースを改めて一回りする。
この季節各家庭の玄関周りの植物の枯れ葉などが多くて、けっこうなボリュームになることがある。始めにゴミ集めをするときに教えられたのは、マイナスドライバーと人差し指でゴミを挟んで取るように言われたのだが、私はすぐに、いい道具が家の机の中にあるのを思い出した。ピンセットである。印刷原稿をまだ写真植字で作っていた時代! 校正した文字をカッターナイフで切り張り修正していた時の物が、引き出しの道具箱に確かに残っている、と気がついたのだ。
このピンセット、先端が『クロツラヘラサギ』のくちばしのように少し丸みをおびている。この作業には万能だ、唯一困ったことがあるとすれば、髪の毛一本までつまめることで、ゴミ集めにはきりがない。
このピンセットの初おろしの日、〝やまさん〟がめざとく見つけて“オーツ、なっつかしーの持ってるねー”と言ってきたので彼の前の仕事が分かった次第。彼は小さな広告制作会社をやっていた。転職までのいきさつは聞いていないが。
彼が言う“この仕事は体はきついけれど、一日の仕事が一日で終わるところが気持ちでは楽だよね。今までは一日の仕事が終わっても、終わった仕事にミスがなかったかビクビクしたりさ、明日の仕事と一週間先の仕事のことを考えたりさ、よくあんな仕事してたよね“という言葉を思い出してピンセットを手にため息をついてしまった。
4時近くになるとマンションの角部屋近くの排水溝は暗くなり始めていて、顔を近づけないと獲物が見えない。ビニール袋を左手に、ピンセットを目の前にかざしていると、塾に出かけるらしい女の子が出てきて、怖い物を見るように、明らかに私から遠いところを回り込むように通って廊下を去っていった。いつもならユニフォーム姿が分かるのだろうが、上下真っ黒な男がうずくまっているのだからギョッとするだろう。
そうかとおもうと、学校帰りの高学年と思われる女の子が後ろから“ありがとうございます“と声をかけてくれる。おそらく、母親と一緒の時に、私たちに声をかけてくれる母親のことを見ているのだろうと思う。
朝の仕事始めの時間も寒いが、夕方も寒い、廊下のところどころ夕日の差すところに来ると、わずかな日の光に当たってほっとしながら降りていく。
ゴミ取りが終わる頃には洗い場も片づいていて、主任が最後の現場点検から帰るのをスタッフたちが待っている。ウッチーは、“寒い! 早く帰ろうぜ、こう暗くなってきて見えねえのに、何点検してんだよ”と毒づいている。私は、おい、オレは時間でなんぼなんだから、そんなに早く返すなよ、と混ぜっ返す。パートは時間給だが、終了時間は30分単位。15分過ぎ、45分過ぎなんていうビミョーな時間はカットされる。
ウッチーは“てめえの金じゃないんだから、5時で切ればいいじゃねえか”なんて言ってくれるのだが、主任はけっこう管理職してるのだ。この日私は手書きの出勤カードを差し出しながら“今日は寒かったからつまみのチョコレート代ね”とカードを渡したら“じゃ今日は17時で”と満額回答。
今日の現場へはワゴン車2台、小型ワゴン1台に道具が満載なので、倉庫の整理に数名が乗車するだけで、残りの者はここで着替えて電車で帰る。千葉方面からの上りは空いていて、好きな連中は自然と何人かで売店で缶チューハイなど仕入れて乗車。私は水割りウイスキーの缶にチョコレート。寒風の中から暖かい電車に乗るのは実に心地よい。家では風呂とビールが待っているが、そうではない〝今〟がいいのだ。
フツーの人が夕方の電車に乗ると、ジーンス姿の、あるいはジャンパー姿の、あるいはデイパック姿の、あるいは黒っぽくて厚底のスニーカー姿の男達数人が、缶ビールなど車中でやっているのを見かけると思う。アレである。あの顔を今度見てやってほしい、ほっとしていて、暖かそうで、満足そうでおだやかで……。
『今日の苦労は一日で足れり、明日のことを思い煩うな』聖書に、こんな一節があったと思う。 |
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