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からだにいい「清掃人」入門体験風
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07 言葉で教える、難しさ 例えばさあ
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第七章
オレが昔、飛行機だった頃
お前はフォークダンスだった、わっかるかなあ
初仕事はオフィス。原則4人一組。トップはポリッシャー、マンションと違うところは、回転するパット台に取り付けるのがブラシではなく、スポンジ状のもの。洗剤も使わない。
2番目が洗った水分をスクイジー(通称カッパギ=私は国語学者ではないので正確なところは分からないが、俗に物を〝カッパラウ〟、魚を〝カッサバク〟、ホームランを〝カットバス〟などと使うように、水を〝カッパグ〟という意味の掻き剥ぐから点じた名称ではないかと思う)という、バーの先端に40センチ程のゴムのヘラをTの字に付けたものでかき集めて、スチールのちり取りから缶バケツに空けていく。
ある種、技術職でここでうまく水分を掬えないと、3番目の私のモップがすぐに汚れてしまう。私は1番モップで取り残した水分をふき取り、2番モップで更に拭う。この後をワックス掛けが追っていく。という御一行が、廊下やロビーを流れていく。
カッパギの担当は、丸いポリッシャーが洗えない隅や角を、20×10センチ程のゴムにスポンジを取り付けたバーでこすっていく。通称「シコシコパッド」。お達しがあって、職員や社員の居るところでは、下品な言葉なので声に出さないように、と。しかし、ロビーなどでは“おい、シコシコ持ってこい”なんて大声で怒鳴ること度々。
ところで、新人の入門コースであるモップだが、なかなか難しくもある。どうしても根っこの部分ばかり使って、モップのフサフサが゛有効に広がって拭うことが出来ない。なかなか言葉で教えるわけにも行かず、要は見よう見まねになるのだが、例えば私が新人に言葉で教えるとすれば、こんなことになるか。
“大阪の漫才に『海原はるか・かなた』っているでしょ、向かって右が、はるかさんで、この人一見フサフサに見える髪を右から左に流してるよね、で、かなたさんが突っ込み入れる時、突然はるかさんの髪をフー!って吹くと、髪が左から右へフワー! と動いてはるかさんのハゲが現れて笑いを取るよね、はるかさんあわてて頭を右に振ると今度は右から左にフワー! と戻るね、あれ風にモップが右から左に床をなでるように動いていくのがいいのね”
お二人の髪の毛のギャグも、髪の長さ、分量、吹きかける息の強さなど、いろいろ研究しての成果だと思う、モップだって力を入れて床を拭けばいい、というものでもない。更に説明が続く“……で右手はグリップの先端を持って、そうしないと狭い廊下なんかだと先が壁を突いて傷付けたり、掲示板や額なんか壊すことがあるからね。そうして右手を内側に、中央辺りを握った左手は外側に少しスナップ効かせて捻りながら床を動かすと、はるかさんの髪になります”
一度お試しを。
使い方の教え方の続き。新人の段階からいくと次はバキューム。いわゆる掃除機だが、家庭用のそれが吸引力の強さはともかく、エコ商品化が進められて、電力を使わない、音が静か、といったところがウリだが、私たちが使う業務用バキュームは威力が最上で、音もまたかなりのものだ。
ウイークデイのオフィスの作業は、金融関係が多いので、バキューム作業が夕方にかかることが多い。ヤマさんが一度、夕礼の最中、バキュームをうならせて、室外退去を命じられたことを目撃! 電話をしている職員がいれば一度退くか、遠回りをするか、気配りが求められる。
もう一つ。吸引力が強いので、まともにカーペットに置くと、ピタリと張り付いて動かなくなる。オフィスによっては、カーペットを床に固定せずに、四角のブロックを並べただけのところがある。これが一枚ずつ持ち上がってずれ動くのだ。そこで……。
“そういうカーペットにはね、バキュームの右端を少し持ち上げるように、例えば、石垣島の空港から9人乗りのプロペラ機・愛称『アイランダー』(イギリス・ブリテンノーマン社製 BN2B)で、日本最南端の波照間島の空港へ向かうでしょ、約20分で島の上空に着くんだけど、手のひらぐらいに見えた島を、あれれ、通りすぎたと思ったら180度旋回して、機体が斜めになってフワーッて降りていくのね、あの時の両翼をバキュームの先端に見立てて、斜めにカーペットを掃く、そんな感じ、分かるよね”。
(この飛行機、実は07年11月で廃止され、その後那覇─粟国島間で就航されていますが、現在は不定期。でもバキュームの研修を計画している会社があったら是非貸しきりで、飛んでみて欲しい。)“そうでなければ、バリカンで頭刈るとき、しっかり押さえるとつるつる坊主になっちゃうから、少し浮かし気味にさっと掃くと、きれいに刈れる。もちろん左旋回だけというわけにいかないから、卓球のペンホルダーのバックハンドのように、右のコーナーも狙うように。
言葉で説明すると、こんな風になってしまうのだが。
バキュームにはもう一種類あって、一般のものは手前から押しつけて使用するが、カーペット、それも毛足の深いものには『アップライト』とう専用のものを使う。使い方は全く逆で、向こうから手前に引いて使う。吸うのではなく、モーターでローラーを回転させてゴミを吸い取りながら、目立て(カーペットに着く靴後や不定型のヨレを直していく)をするものだ。スイッチを入れると、機械自体がまず前方に走る、これを手前に引き戻すことによって使用効果が出る。
“犬の散歩頼むよ、ジャックさん”。初めに私がこれをやったとき、アップライトの力に引っ張られて、まるで大型犬の散歩のようにヨタヨタ引っぱられたのを笑われて、以後、大型アップライトにはこの名前が付けられた。
冒頭の作業で登場したウエットバキュームも、向こうから引っぱるタイプ、ただし、水分を吸い取る、と目的が違う。床面をやや浮かして前方にやり、引っぱりながら水気を吸い取る訳だが、一般のバキュームと違ってノズルの部分がスチール製で重い。従って浮かせるというよりは、踵を着けて滑らせるように前方に押し出さないと、これまた床に吸いついて動かない。
この〝踵を着けて前に出し〟という方法を聞いたとき、とっさに私は、高校生時代の昼休みに毎日のように輪になってやっていたフォークダンスを思い出していた。あの「オクラホマ・ミキサー」だ、。左に女子生徒、女子の右手を持って、左手は相手の肩越しに左手を、踵を滑らせるように前に、そのまま引いて一回転、同じ動作でもう一回、次の相手と入れ替わる!
ウエットバキュームは引いたところで、つま先部分で手前にしゃくり上げるようにすると水たまりを残さずにきれいに吸い取れる。オクラホマ・ミキサーも引いたつま先をちょっと後ろにけ上げるようにすると、リズミカルできれいだ。ウエットバキュームをやる度に、あのメロディーが口をついて出る。
ポリッシャーはチームの班長がやる場合が多いので、“ちょっと、うんこしてくるので、その間少しやっておいてくれる?”という時ぐらいしか動かすチャンスがなかった。もちろん慣れれば誰にでも出来るのだが、この作業で難しいのはコードのまとめ方だ。
ポリッシャーはコードがじゃまにならないように後方のコンセントに繋いで、先端から後方に下がっていく。この時、下がった分のコードを足許のじまにならないように、ポリッシャーに巻き付けて行かなければならない。私は少し下がる度に、一度止めてコードを巻いて、ということしか出来ないが、ベテランは片手で動かしながら、コードを巻いていく。
駅のコンコースやビルの玄関などで、この作業を見たらコードの巻き具合を見てやってほしい。
ワックス作業はオフィスビルでの仕上げだ。女性の化粧と同じで、ベテランの作業員は平均的に、厚からず薄からずに仕上げる。
私が初めにワックス経験させてもらったのは、比較的ラフな床面で、飲料水メーカーの倉庫の裏階段と踊り場、とか、男子独身者用の寮の廊下と洗面室とかに限られた。かすれて塗り残しがないように、どうしてもワックスモップになみなみとワックスを染みこませるので、乾くとうっすらと白い膜がかかったようなになる。文字通りの厚化粧で、化粧はすぐ落としてやり直せばよいが、ワックスは一度乾くと、数ヶ月に一度の「剥離(はくり)」という作業までやり直しがきかない。
この剥離作業は汚れが目立ってきた床に、剥離材をたっぷり塗り込んで、第一歩から清掃をやり直す作業で、この作業をやると、靴が一挙に汚れるのと、うっかりすると素手の作業で手が荒れるので、誰もがあまりやりたがらない。事実、剥離剤を塗り込みながら班長が“誰だ! この前ここにワックスかけたやつは、こんなにべたべた塗りやがって”と文句をつける。
廊下の隅々から、薄汚れた皮膜がめくれあがってくる様は、海水浴で日焼けした肌から皮膚がむけてくるようでもあり、ご使用感は無いが、コールドクリームで化粧を落とす快感にも繋がるのではないかと思われるほどだ。初めての作業の時“ばばあ芸者の化粧落としみたいだな”と言ったが、誰も笑わなかった。
剥離剤で汚れの浮いた汚水を缶バケツに入れ終わって、ワックスで仕上がった光るような床面でもなければ汚れのある床面でもない、〝スッピンの床〟というものにはなかなか私たちもお目にかかる機会が少ない。
化粧を落とした女性になかなかお目にかかれないのと同じかもしれない。〝素知らぬ風情のオフィスの床〟には味わいがあるものだ。『化粧を落とした顔を亭主にさらした時から女房は空気になる』と、誰かが言っている訳ではないが、剥離が終わってワックスを待つ床は、空気が止まった空間のように見える。
ワックス作業で困るのは、営業中のオフィスでのことで、早く乾くように『清掃中、しばらくお待ちください』という看板を立てて、何メートル置きかで扇風機で風を送りながら進むのだが、職員がうっかり踏みこんでしまうことで、彼らもコトの次第に“あっ! ”と立ち止まるのだが、すでに遅し、靴跡が見事に浮き上がる。
こうした靴跡は上からではなく、数メートルか先からはよく見えるので、そのままにしてはおけない。その部分だけやり直す。
土佐和紙や薄美濃紙は、和紙の中でも最も薄くて丈夫で、文化財の修復よく使われるそうだが、ワックスの名人は、微量のワックスをモップに付けて、そっと、他の面と違わないように、化粧直しをするのだ。 |
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