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2013年3月11日 東日本大震災に想う
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3.11東日本大震災・その時ユフィは
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我が家にいました。
思い出そうと努力したのに、あの日あの時、我が家の何処に居たのかが、分からないのです。
その後で、一階の居間でテレビをリアルタイムで見ていたことは覚えているのに、その瞬間の記憶があいまいなのです。
ぼけちゃったのかな?
何回か余震があったので、ごっちゃになっているのかも知れませんが、よおく考えてみると、二階のサーヤのベッドで大きなクッションに寄りかかって、読書中だったようにも思えます。
テレビは見ていなかったはず。
緊急地震の画面に記憶がありません。
なぜかと言うと、最近サーヤのベッドでテレビを見ながらの休憩中に、地震注意報の音がして、画面に注意報が流れた直後に、地震が来たからです。
あの時、テレビが付いていれば、緊急ニュースが流れたのを目にしていたはずなのですから。
ともかくズシンと下から突き上げるように揺た後、グラグラとすごい揺れが来ました。「来た!東京大地震が」と思いました。
来る来ると言われていたので、すわっ、と思いました。
サーヤの部屋のあっちこっちに積んであった本が、バラバラと崩れていき、ユフィの左腕で寝ていたマサムネがビクッとして起き上がり、あたりを見回したと思ったら、一目散に一階へ逃げていきました。
我が家は外階段があるほど、土台が普通の家より高くなっているので、
地震のときは揺れがひどいのですが、この時の揺れは体験したことのない揺れでした。
「よかった。母が逝った後で」というのが一番最初の感想。
母が居たら、なんとか外に連れ出さないと、と思ったでしょう。
母の姉・伯母は、上京してすぐに「関東大震災」に逢ったので、地震が来ると異常なほどに怖がりました。
母はそうでもないのですが、年取ってからの地震は不安に思ったでしょうから、「自分ひとりの身の安全」を考えれば良いのが、ホッとした理由です。
落ち着いたところで階下に降り、居間のテレビを付けて、東北地方に大地震が来たことを知りました。
その後は、リアルタイムでの津波の映像が…。
アメリカの9/15の時にも、たまたまリアルタイムで飛行機が突っ込む場面を見ていたのですが、今回は身近な日本です。
津波の恐ろしい破壊力に、ただ呆然としていました。
少し落ち着いてから、ジャックやサーヤの安否が心配になりました。
比較的慌てなかったのは、階下が全くの無傷状態だったからです。
何も変化がない、いつもの状態でした。
後から考えたら、東京大地震が来ると予測していて、地震対策をいろいろとしていた結果だったのですが、その時はそこまで分かりません。
携帯電話は通じないので、一応メールは打ちました。
半日以上遅れましたが、届いたことは届きました。
サーヤからは、友人のPHSを通じて無事だとの連絡が。
ジャックはいつもの時間より3時間送れで無事帰宅。
歩いて帰ってきたようです。
ともかく、一応は我が家の家族が無事なことは分かり、ホッと一息。
母の郷里は岩手なので、電話開通を待って『お見舞いの電話』をかけ、
お菓子の見舞い品も送りましたが、山側の地盤の固い所なので被害はなかったようで安心しました。
電話の向こうで「余震が多くて、その度に外の電柱に掴まっている」との元気な声に、大変な揺れだったのだろうと、同情したり感心したり…。
ジャックの姉は、地震が大嫌い。
当日は窓に掴まって、大声で喚いていたそうですから、可哀想やら可笑しいやら…。ごめんなさい、お姉さん。
サーヤは翌日、なんとか帰宅。翌日は土曜日だったので、お休みで良かったのですが、本の片付けが大変だったみたいです。
被害が何もなかった、と思っていたら、日ごろ使用しないリキュールグラスがひとつ、茶箪笥の隙間から落ちて、割れているのを後日発見。
本当に被害はこれだけ。
と、言う訳で、あまり大変な被害のなかった我が家ですが、大変な目にあった人も居たようです。
我が家の主治医・接骨院の先生宅は、戸棚中の食器類が散乱して危ないので、その夜は外食したとのこと。
片付けに、翌日の休日をつぶしたようです。
二階のジャックの部屋のコピー機が、移動していたことも驚きでした。
余震の度に逃げるマサムネの行き先は、はじめは玄関でしたが、身を隠す場所がないからか、次からはユフィのベッドの陰になりました。
どこを探せばよいのかが、分かるので便利です。
次は、3/11の前と後の地震対策を書きます。 |
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