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河童のいる町

日本中の河童が集まった「大内かっぱハウス」

 ジャックは今でも、高校時代からの友人二人とその奥さん、そしてユフィと六人で一年に一度は食事会をやっています。会った時、葛飾で昔からの酒店を営むSは私のことを“ジャックくん”と呼び、江戸川区の小岩に住むこちらもSは“かっぱちゃん”と呼び、同級生同士で結婚した奥さんも“かっぱちゃん”と呼んでいるのです。高校時代、クラスメートから“かっぱ”と呼ばれたことは記憶にないので、なぜ今でもそう呼ばれているのかは、自分でもよく分からないのです。

 もしかしたら。中学校の3年生の秋の運動会で、仮装大会をやった時、柴又の門前で仏具商で彫師でもあった仲良しのこれもS(彼については当サイト「現在刻語辞典 其の四 柴又のシデオ君 江戸川のシバリが アガル 参照)と、河童の仮装をしたことがあるのです。海水パンツ一つで全身に緑の絵の具を塗って「雨具の御用はかっぱ屋へ」と書いた看板持って行進したのですね。この中学からは私と二人が江戸川区の都立高校へ進学しています。そのうちの一人が、私をかっぱ呼ばわりしていたのではないか、と思われます。ただそれだけでなく、入学と同時に演劇部に入っていた私は、誰かに“なぜかっぱなんだ”と言われて、手を広げて頭の上に乗せ、口を大きく横にひろげてぱくぱくと、目玉をおもいきり大きくして見せたことがありました。かっぱたる由縁は、この頃にあったのかもしれません。

 これをやれば、誰でも、河童になれます。要するに、日本人であれば、誰でもが河童になれるのです。試に、鏡に向かってやってごらんなさい、自分とは別の生き物の河童が、鏡の向こうに現れること請け合いです。

 それにしても、以来何十年も、かっぱ、と呼ぶ友人が身近に居て、私もかっぱに馴染んでしまったのかもしれません、なにしろ、私のネームアドレスに、かっぱの文字を入れ込んでいるくらいですから。

 2019年の春頃でしたか、産経新聞の「大人の遠足」というコラムに、「千葉・銚子 大内かっぱハウス グッズ4.000点が並ぶ異空間」という記事が掲載されました。その記事の一部を転載して紹介します。ハウスの詳細は「銚子大内かっぱハウス」で検索できますのでそちらを。

『港町の景色が一面に広がる千葉県銚子市の利根川河口。その岸壁近くに、かっぱに関する絵画や書物、置物など約4千点を展示する「大内かっぱハウス」がある。「銚子のかっぱ男」と呼ばれる地元の名士の個人コレクションが並ぶ異空間。諸事情により一時閉館していたが、昨年夏、14年ぶりに再開した。
 初代館長は元市長  同館は、かっぱグッズを趣味で集めている初代館長の大内恭平さん(85)が増えすぎた所蔵品を保管、展示するため私財を投じて平成12年に建てた。3階建て延べ床面積160平方メートルの館内には、かっぱの絵で知られる日本画家の小川芋銭や、漫画家の清水昆(山カンムリのつく字)らの作品をはじめ、研究書、彫刻などの民芸品、こけし、ぬいぐるみ、漫画など、ありとあらゆる収集品が処狭しと並んでいる・・・・・』

 これは、見ておかないと後悔する。出かけたのは記事が紹介されてから半年余りも経ってしまった頃。JR総武線終点の銚子駅から、駅前の広い通りを利根川に向かい、右折して10数分、記事で新しく建てられたものと分かっていましたが、イメージしていたのは、少し薄暗い感じの館内、と思っていましたが、見事に裏切られました。明るい館内、館長を務める相馬圭二さんはミュージシャン、彼が制作したCDの音楽が流れています。小学生もよく訪れるというのもうなづけます。この日、ジャックの他に来館者が居なかったので、いろいろ説明をしてくれました。

 それにしても、コレクションの多さ、これが記事にあった4.000点、と納得です。よくも集めたものだと、改めて感心させられます。しかし、この点数、一つ一つの来歴などとても書いていられないでしょう、書かれていても見ていられない、覚えていられない、とにかく圧倒されてかっぱの世界にしばし浸ることが大事なのだ、と思った次第です。
 見ながら思ったのですが、「川の中の妖怪」であるあの、河童の姿かたちは、どのようなイメージから生まれたのかと言うことでした。掛け軸の並びを見ながらも、不思議だったのですが、また並べられた置物を見ても不思議だったのですが、一見恐ろしく見える河童も、観方によってはユーモラスに見えるのです。例えば掛け軸を見ても小川芋銭(うせん)の作品から追っていくと、私たちが近年よく目にするようになった漫画家の作品に自然に流れていきます。

 落語家の林家木久翁師匠も、時たま訪れるそうです。師匠は、江戸の風俗を取り込んだ、ユーモアのある、きれいな色彩を使った絵をお描きになります。師匠の河童の絵がここに並んだら、どんな河童が現れるのか、どんなに楽しくなるだろう、と思ったしだいです。

 例えが少し違うかもしれませんが、「妖怪漫画」として有名な「ゲゲゲの鬼太郎」も、登場する人物は全てがユーモラスなキャラクターです。作者には、妖怪の中にあるユーモラスな面、ちょっとエロティックな面など、河童から発想されていたのではないか、とも思ってしまいます。
 とにかく、目にしたコレクション、なるべくたくさん見てほしいので並べていきます。と言う訳で、細かい解説は無し、相馬さんに伺った話だけを紹介。


館長の相馬さんのサインは、かっぱのK


期的に神社の神主さんを呼び、関係者が出席してお祓いをしているという「かっぱ神社」、お参りをしてから見学。





小川芋銭(うせん)右から、左下・清水昆(前述の字)へ、と時代を追って。





特別展が開かれていた山口敏太郎の妖怪展、かっぱのミイラというもの。上に後述する浅草河童橋道具街のある「河童寺・曹源寺」のお札が掛けられている。



米粒に描かれたかっぱの絵、大内さんの見ている前で描いてくれたという。ルーペで見られるようになっている。右は木彫りのかっぱたち。


御代は見てのお帰り、ハウスは入場無料です、気に入られたらお志をポストにお願い。


三階のテラスに野ざらしで展示されているかっぱ達、なぜかこれらが、いちばんいきいきと、自然な感じが漂う。


お土産に買ってきたかっぱハウスの小さい絵馬、自然の丸い石が飾り。

町が河童になった町 浅草・かっぱ橋商店街

 プロの調理師たちの仕事道具の仕入れ先である道具街、最近は外国人観光客が多く訪れることで、有名になってきました。私たち日本人も、浅草までは行くけれど道具街までには足を運ばなかったけれど、そんなニュースを見て、ちょっと寄ってみようか、なんていう人も出てきたみたい、ジャックもその一人。
 少し年配のガイジンカップルや、数名連れだって何かとやかましい中国人と思われる人などが目立ちます。お目当ては、蝋で作った食品サンプルだそうですが、確かに面白そう、楽しそう。
 とにかく、河童を探しに散歩です。


道具街のシンボル、屋上に大きな白衣のオジサン。



かっぱ寺、として知られる曹源寺、境内に、それとなく河童。(詳しくはネット検索で)


スカイツリーが見えるかっぱ橋(こちらの文字は合羽)の光景。

突然現れた黄金の河童像・かっぱ河太郎像。文化年間に商人として名を成した、合羽屋喜八に因んで、街の誕生90年を記念として作られた。




招き猫ならぬ「招き河童」か。裏通りには、こんな店も。

 実はジャックはその昔、この道具街で「しごと」をしたことがあるのです。
ちょっと昔、テレビの人気番組に、久米宏と漫才師の横山やすしが司会をする「テレビスクランブル」と言うものがありました。このコーナーの一つに、脱サラをして屋台のラーメン屋になったら、どのくらいの売り上げがあるだろうか、という実証実験的なコーナーがありました。
 実は番組放送中でしたが、各コーナーをまとめて本にしよう、というプロダクションの依頼がジャックの勤務する編集会社に依頼があり、ジャックが担当することに。実際に屋台を引く必要があり、出たがりジャックは“俺がやる”と乗り出して、道具街に行って、白衣一式から、屋台道具まで借り出して撮影したことがあったのです。本が残っていたので紹介しましょう。
  

 
河童異聞
その一 エロガッパ
 最近、世の中のエチケットがうるさくなってきたので、出没することが少なくなってきた動物。ちよっとしたシモネタを披露して周りを笑わせるお節介な中年、さりげなく女性のお尻をなでるスケベ親父、だが、なぜか憎めない、ほのぼの感あふれる中年、といったところでしょうか。
 実はモデルがいたのです。関西で絶大な人気を誇った夫婦漫才師。京 唄子と相方の鳳 啓祐がその人。小太り中年、髪を額の真ん中ぐらいでぐるっと切りそろえ、盛んにギャグを連発、相方から、エロガッパと呼ばわれていました。元祖・エロガッパです。

 もう一人、ジャックが好きで聞いているラジオ番組。NHK FMの「ラジオマンジャック」(毎週土曜日 16時から2時間 新旧のいいジャズと女3人 男二人のおしゃべり番組)の中で、短時間のドラマがある。ここで度々登場するのがエロガッパ、どうやらピアニストのモジハジメさんが役回りらしいが、その気で聞いていると、なるほどと思わせる少々どら声がぴったりです。

その二 おかっぱ頭
 一番わかりやすいのは、現在のテレビ人気番組「チコちゃんに叱られる」のチコちゃんの髪型です。後ろ刈り上げで、前髪を額の真ん中で切りそろえたもの。昭和の時代の女の子はほとんどがこのおかっぱ頭でした。番組最後にチコちゃんと岡村君が縁側でおしゃべりするシーンがありますが、周囲の作りは昭和をイメージしたものです。
 このヘアスタイル、現代、ファッションショーで活躍するモデルの中には、おかっぱ頭をアレンジして独特のスタイルをウリにしている人も居るのだとか。昭和のおかっぱ頭が、世界のファッションに進出するのも間近かもしれません。

その三 河童の川流れ
 これは、日本古来の諺です。水中では自由に泳ぎ回る河童でも、ときによって流されてしまうこともある。どんな達人・名人であっても、時には失敗することもある、という意味に使われますが、現在では文中でも、口語でもそのまま使われることはあまりありません。
 代わりに、こんな使われ方になります。
 ○まさかのPK失敗(サッカー)
 ○まさかの見逃し三振(野球)
 ○まさかのフリースロー失敗(バスケットボール)
 ○まさかのパス、インターセプトで相手のトライ(ラグビー)
 ○まさかのスタート、フライングで失格(陸上・短距離)
 ○まさかの「勇み足」(相撲)
 ○まさかの泳方違反で失格、まあ、こんなところは“河童の川流れになってしまいました  ”くらいに使ってもいいと思いますが。

ジャックの家には河童がいない
 かっぱハウスを見てきた後でふと思ったのですが、かっぱちゃん呼ばわりされていて、アドレスにもかっぱの文字を入れ込んでいるのに、何故我が家には河童がいないのか。
 ジャックに収集癖がなかったわけではありません。実は招き猫は沢山いたのです。ある飲料水メーカーの情報誌の仕事で「集客の神様たち」というシリーズの記事を作ることになりました。一回目に取り上げたのが「招き猫」でした。ここで詳しいいきさつは省きますが、以来、出張の仕事が多かった私は、ことあるごとに地方の猫を集めることに。結局事務所の棚に、本を押しのけて、80体くらいの猫が集まってしまいました。聞きつけた友人が地方で見つけた猫を持ってきてくれることもありました。
 残念ながら仕事をやめたり、転居したりでずいぶんの数の猫を処分せざるを得なかったのですが、全て、東京・世田谷区にある、そもそもの招き猫発祥の「豪徳寺」には、お役御免になった招き猫の処分所があり、そこへ納めてきました。



今、ジャックの部屋に残っている猫。後ろの右2体は取材時から居座る、バレンタインデーの猫と、合格祝いの万歳猫。その左は、珍しいぬいぐるみの親子。前列右端は富山の土人形、黒いのは土鈴、一番左は、張子の猫。

招き猫模様の風呂敷、縮緬製、広げたら我が家の猫がじゃましに来た。

 いま考えると、店で猫を物色していた時、近くには、河童が必ず居たのではないか、と思うのです。かっぱハウスの4.000もの河童の中には、我が家にやってきてもいい河童がいたのでは、と思うのです。

 招き猫以外にも集めたものがあります。ジャックは午年なので、何かと馬も集めてきました。このことは当サイト「リビング 季節に合わせて 置物飾り物 干支は午 馬のいいものあれこれ」で紹介していますので、お暇な折に、見てください。

カッパチャンは、今では幼児のお友達


    

 清水昆さんの絵を引き継いだのが、漫画家の小島功さんです。清酒メーカーの「黄桜」のキャラクターとして有名になりました。清水さんのユーモアにプラスして、エロティックな河童の絵が雑誌やテレビで人気になりました。河童がキャラクターになった初めでしょうか。
 今でも、河童を使ったコマーシャルが散見されます。
 ある朝、テレビのチャンネル回していたら、河童のアニメに出会いました。7時15分頃のNHK 2 チャンネル、続けて見ていないので、どんな話なのか知らないのですが、河童も幼児に愛されるようになったのですね。小川芋銭が見たら、河童の進化をどう見たでしょう。
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