ユフィの記事
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知人の通夜の席で思う
ジャックの実家のお隣のおばさん逝く
6月のある日、ジャックが携帯で話中。
内容に対する受け答えから、義姉からの法事に関するものと察した。
終了後、金町の義姉の隣家のおばさんが亡くなったと分かる。
ジャックの金町の実家は、両親を最後までみた義姉が継ぐような形でなんとか残っている。
その隣のKさん宅は、親戚同様のお付き合いで、現在まで至っているのだ。
ユフィが初めてジャックの家に挨拶に行ったときは、両親は既に亡くなっていて、義姉の家族が住んでいる古い家だった。
庭が広くて、柿の木等も多く、しその葉も茂っていて、Kさんのおばさんが「しその実」を採っていた姿を覚えている。
義姉は「天ぷらを揚げる」のが苦手で、ユフィを歓待するために、おばさんが引っ張り出されたと言う訳。
挨拶の後で、「庭に変な人がいる、と思ったでしょ」と言われたことまで、鮮明に覚えているのだ。
なにしろ初対面の家族紹介なのだから、緊張していただろうし、
親戚ではない隣のおばさんとの初対面は、しっかり記憶に残っている
。
母と同い年で、お嬢さんはユフィの高校の後輩、義姉は男兄弟の女一人だから、そのお嬢さんと年の差はあっても姉妹のように育ったらしい。
一人娘のお嬢さんは結婚してからも同居で、我が家と同じマスオさん家族だ。
家の母は「マダラボケ」で大変な苦労は無かったのだが、Kさん宅のおばさんは「ボケ」がひどく、お嬢さんのことも家族のこともわからなくなってしまったらしい。
仕方なく、医師の勧めあって「介護してもらえるホームに入った」とは聞いていた。
母と同い年なので、96歳での往生ということになる。
施設に入って10年以上、近年は寝たきりの状態だった様子だ。
義兄と同じ金町の駅近くの斎場での法事とのこと、ユフィも同伴することに…。
ジャックが「淋しい通夜になるかも知れないから、行ってくれ」と言ったから。
我が家の場合は、ジャックは公の仕事は離れて大分経っていたし、ユフィの、というか母の親族が集まっただけのシンプルな法事だったから、かなり静かで淋しい通夜だった。
Kさん宅から、母の葬儀後、伊勢丹のデパートから素晴らしい花が届いていたから、ユフィの心積もりでは、お花を届けるつもりだった。
ジャックが「淋しいといけないから、姉と連名で花を頼んでおいた」と言うので、封筒にきちんとお花代を用意していく。
ジャックは仕事帰りにそのまま、ユフィは家から金町に行き、斎場で落ち合うことにしていたのだが、何の手違いかすれ違ってしまったらしい。
ギリギリ数分前に滑り込みセーフだったから、カードに名前を記して渡し、促されるままに会場に座ってしまう。
少しして
「あの、お香典は?」とスタッフらしい女性に聞かれてビックリ
。
「主人が持ってくるはずですが、まだ来ていないようで…」
義姉と主人は、控え室でユフィが来るのを待っていたらしく、遅れて入ってきた。
そして、「香典のこと」を聞き、「失礼だよな」と一言。
香典の催促など、確かに失礼ではある。
通夜の席ではなく、葬式にもっと来る人もいるのだから、直接確かめるのは礼儀に外れていないか?
下町の、遠慮のないザックバランということなのか?
そして、
「淋しい通夜」のはずが、とっても「にぎやかな通夜」
になっていたのだ。
マスオさんの旦那様関係で、金町の商店街の方々、お嬢さんの関係の近所の方々、お孫さん関係の友人知人、etc…。
総勢何十人もの大騒ぎ。
ジャックの同級生やら、同窓生やらも出席していて、昔話に花が咲いて、そのにぎやかなこと。
お年がお年だから、にぎやかに送るのは礼儀には適っているのだが、「淋しいだろうから一人でも多く」と出席したユフィは、ポツンと蚊帳の外状態に。
さて、祭壇の話、母の場合は「キンピカの祭壇」の望みを、ユフィが撥ねての「花の祭壇」にしてしまった。
白とブルーと紫を基調にした
、母らしい色合いのもの、
ユフィの好みの色合いに
。
Kさんは、やはり同じ花祭壇だったが、白にピンクが基調の華やかな感じのものになっていたし、備えられた生花の数も多かった。
紫のカトレアも豪華に飾られて、遺影は多分70代の頃の着物姿。
ピンクの祭壇には似つかわしいのだが、
「若すぎないか、遺影にしては」
と?
よく考えたら、早い時期にボケてしまったから撮影もできなかったのか、お嬢さんが老けてしまった母親を容認できなかったのか、疑問。
我が家の遺影は、毎年の誕生日の食卓での撮影だったので、前年の写真だ。
さて、通夜の読経もお焼香も終わっての通夜の席。
「通夜振る舞い」と言われる「お清めの席」だ。
広い宴会場は、とってもにぎやかに、宴会状態になっていく。
今年の春に入った互助の会「くらしの友」からの会報誌「てふてふ」によれば、「通夜振る舞い」は「故人との最後の席」とのこと。
にぎやかに送ってあげるのは、礼儀の内なのだろう。
一口でも箸をつけるのが礼儀だそうで、料理は寿司や大皿盛り、飲み物はアルコールや清涼飲料などだが、次々と運ばれてくる。
我が家は見積もりを多く誤って、斎場に泊まった田舎の親族との宴会にまで料理が回ったほどだった。
長居はせずに、15~30分くらいで退席が望ましいらしい。
ここでも、我が家の世田谷の斎場と、金町の下町の商店街の斎場との違いが…。
半数以上が30分を越えても、にぎやかに飲んで話して宴は続いている。
1時間ほど、Kさんが挨拶に来てくれるまでお付き合いして、お別れをしに祭壇に。
ユフィがお線香を上げている間に、お棺を覗いたジャックが「おばさん、綺麗な着物を着せてもらってよかったね」と話しかけている。
ユフィはそれほど親しくはなかったから、お線香のみで失礼したが、
明るい綺麗な着物をきちんと着付けていた
らしい。
母の場合は、ユフィが作ったお気に入りのワンピースを、掛けていただけなのだが…。
硬く強張っていた体を、
「見事に綺麗に伸ばしてくれた」
と言っていたから、死後の処理方法がとても向上しているのだろう。
穏やかなお顔になっていたらしい。
そして「会葬お礼」を頂いて、帰宅した。
たいていは、お茶が多いのだが、今回のお礼は「詰め合わせ」だった。
茶と梅干と海苔のセットで有名デパート製
。
母の場合は「ハンカチ」だったように思うから、かなりの差がある。
今回は香典を渡したジャックのみに手渡されが、我が家の場合は一人ひとつをお渡ししたように思う。
価格にしたら千円以下だったと思うが、ハンカチは必要分だけ使って、残りは返却可能だからと、勧められたのではないか。
返却せずに、その後の自宅への会葬の方へお渡しした、と記憶しているが…。
さて、義姉が立て替えてくれていた生花のこと。
領収書を見て「ギョ」、消費税を入れてなかったことに気づき、封筒を取り返した。
10円玉も入ってぎりぎりのセーフ、その夜は開始時間にもセーフで2回目。
ジャラジャラと重い封筒を義姉に渡しながら、
「無事に終了」
となった次第。
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