世田谷の静かな廟は近代的設備でとても簡単
ネットやテレビのコマーシャル等で知ってはいたけれど、今まで機会がなかった新しい形の『屋内霊墓』を、この春急逝した従姉の冥福を願って訪れた。
知らせを受けたのはこの夏前のこと、お参りしたのは10月の中旬。
話せば長いことになるのだが、我が母の兄弟姉妹は長じたのは12人、92歳の母が最後に逝って来年が七回忌になるが、残された「いとこ」達の数が半端ではない。
母の葬儀が、親族間では最期の法事になったのも事実だ。
老年ばかりの「いとこ達」は、年賀状で近況を知せあうくらいで、体調の具合も知らないから、もちろん死亡した通知も届くことがないのだ。
全てが過ぎ去ってしまってから、伝え聞く程度だ。
そして突然、従兄からの電話で「従姉の死」を聞いた。
不思議な縁で、世田谷区に3件の親族が住み、兄妹が近くに住み分けていたから、母亡き後は同じ世田谷区の比較的近い地区内に、4軒が長年住んでいたのだ。
相続問題でこじれてしまったこともあり、従兄が妹の死を知ったのはで全てのことが終わった後、義弟から「百か日を終えて納骨も済ませました」との報告を受けたときのこと。
ビックリして電話があり、私も驚いたけれど、「二人で話し合って親族には知らせずに静かに法事関係は済ませよう」との約束をしていた様子。
気持ちはよく分かったし、我が家も『家族葬』の方向で検討していたから、亡き人の意向を大事にして、静かに冥福を祈るつもりでいた。
ただ80歳を超えた従兄は、「あまりにつれない仕打ち」と思ったのも分かる。
もう1件の世田谷の従妹に連絡して、3人で「墓参りしたい」意向の様子だった。
電話して「意向に沿う形で、静かにしよう」と相談したのだが、従兄は冷たいと思った様子だった。
大阪と東京に家がある従妹は、月の内の半分ずつ両方で生活していて、都合の良い日を選んで連絡を取り合い、「お墓参り」に行くことにした。
それでも気にはなったので、ネットから従姉に相応しい生花を選んで仏前に送ったの7月のこと。
すぐにお礼の電話があり、詳しい事情は聞いたけれど、お墓は新式の『廟』と呼 ばれる供養墓にしたらしく、受付で名前を言うと案内してくれるらしい。
中にはセキュリティの厳しい所もあるようだが、この廟はそうでもないのかな。
そしてやっと連絡が付き、10月の爽やかな晴れた日に3人で待ち合わせた。
『ゆいの廟』の前で11時、経堂の駅前で従妹と会い、歩いて5~6分、友人が最近納骨したということでよく知っているらしい。
お寺さんの入り口に案内が出ていて、緑濃い木の道を辿ると近代的な4階建てのビルに行き着いた。
丁度従兄が向かい側から歩いてきたところで、待ち合わせはとてもスムーズ。
夏前に知らせを受けてすぐにお参りした日は、真夏のカンカン照りで、汗びっしょりになって大変だったらしいのだが…。
「今日で3回目」と言う従兄は、黒っぽいスーツに黒ネクタイのきちんとした姿。
女性達はグレイと黒茶の組み合わせで、それらしくはして行ったけれど喪服系ではない。
妹に対する気持ちの表れをとても感じたし、2人に返礼用の菓子まで用意して持ってきてくれていた。
80歳も過ぎているし、今度は自分の番かも知れないし、心残りなくしておきたかったのだろうな、とちょっとしんみりする。
奥さんは体調が悪くて来なかったらしいが、従姉との確執を知っている私達は、返礼品だけで充分気持ちは受け取ったと感じた。
受付で名前を告げ、ノートに書き入れて、2階に案内される。
お寺の墓地なら、署名などは要らずに直行だが、誰が墓参に来たのか記す必要はあるのだろう。
ズラリと並んだ参拝室は、静かで新しくドアが4つ並んでいる。
ドアはボタンで操作でき、示されたドアが開くと「○○家」と記された墓が現れた。
線香ではなく、焼香が用意されていて、花も季節のものが飾られている。
何も持たずに訪れて、静かに焼香してお参りだけで済む簡単でシンプルな方法。
実際にお寺の墓を持つ私達は、お花を用意して墓掃除の用具も持ち、我が家なら半年分の墓の汚れを落として綺麗に磨き、母用の湯呑み茶碗に水を汲み、花を立て、お寺で買い求めた火の付いている線香一対を供える。
春秋の彼岸の期間中は、お寺で様々に準備を整えてくれている。
清掃はもちろんのこと、お茶の接待、線香の用意、各墓に供えた湯呑みを伏せて置く、花立の古い花は除去する等々、アルバイトを雇っているようだ。
この新式の廟では、墓は風雨にさらされることも無く、いつもピカピカに磨かれた状態で、花も用意され、焼香は9時半から19時まで、ちょっと夜間の参拝は難しいのかも知れないが、檀家の墓地も夜間は入れないかも…。
永代合葬墓として、継承者が居なくても供養してくれるらしい。
ペットのお骨も収蔵可能、二人まで合葬でき、法要の部屋も大小調っていて、簡単便利でしかも安いかも…。
『仏壇のはせがわ』提案の《屋内墓苑》で、宗教宗派は問わないなのだそうだ。
要するに今までの「葬儀・納骨・墓」を、ギュッと一つの建物に簡略化させたもの。
80歳過ぎている従兄には、なんだか「腑に落ちない・割り切れない」感じがするのだろうが、少し若いユフィ達には『いいんじゃない、近くて綺麗で簡単で』という感想だ。
「戒名はどこにある」と聞くから、「各家庭の仏壇に位牌があるから…」と応えたが、「仏壇が無いかもしれない」とブツブツ…、独り言。
要するに、簡単便利過ぎて納得しがたいのだろう。
ボタンを押してドアが閉まり、参拝は完了したが、ゆっくり故人の思い出を語り合うベンチも設置されて居るのでともかく落ち着く。
慌しい感じはしないから、しばらくは廟の感想など語り合う。
すぐに次の参拝の家族が訪れ、カードを所定の位置に入れると、参拝室の一つにライトが付いて「準備完了」した様子だ。
同じドアなのが興味深いといえば言えるのだが…。
当然、違う家の名前が彫られたものに変わっていた。
お骨が、その都度スライドして来ているのかどうかは、確認できない。
そうなっている、信じるしかない訳だから、なんでも信心ということだろう。
他人の参拝を見ているのも失礼なので、早々に引き上げてランチに向かった。
帰り際に、パンフレットをもらってきたが、今後は『屋内墓苑』が増えるのだろうな、という印象は強い。
我が菩提寺でも、古くからある墓は無縁墓になる傾向が強いらしく、古くてボロボロの墓も見受けられる。
この秋の彼岸参りでは、隣の古い墓がなくなっていて、新しい墓が立っていたし…。
我が家の墓も、家族三人が入れば終焉ということか、な。 |