暑さ寒さも彼岸までと言うのに今年も暑い
母は3月に逝ったから、様々な法事が続いて墓が出来上がったのは6月になってからだった。
と言うわけで、最初の「彼岸の墓参り」は秋だったことになる。
渋谷から直通のバスで、お寺のすぐ近くに止まるので、非常に行きやすい。
春の3月20日頃と、秋の9月23日頃、中日をはさんだ前後7日間が「彼岸」と呼ばれていて、お墓参りに行く人が多いようだ。
お寺さんでも、マイカーの家族の為の警備員や、お手伝いのアルバイトを頼んで大わらわである。
3月の命日には、彼岸がすぐなのでお参りせず、春と秋の年2回の墓参りがここ5年で定着している。
彼岸とは雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間とされているらしく、この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶようだ。
一般的には、中日に先祖に感謝して墓参りなどが行われるようだが、近年は彼岸の7日間の間に墓参りをする形が定着したようだ。
本来は、中日以外の6日間は、「悟りの境地に達するに必要とされる6つの徳目『六波羅蜜』を1日に1つずつ修める日」とされていたらしい。
由来やら、歴史、風習は、とても分かりやすいサイトもあるので、リサーチしてもらうことにして、ともかくも、我が家では墓参りは春秋の彼岸の際に行うことが習慣化している。
まずはジャックとサーヤの休みの日を合わせることから始まり、夏目坂の天麩羅屋・高七の予約、バスの時間調べ、花の用意、と進むのが通常になった。
供物は持参しない、カラスなどの被害にあうことがや多いからだが、持参しても持ち帰れば済むことなのだが、仏壇にお供えはするのだから、二重には必要ないだろう。
線香も最初の日は持参したが、彼岸中はお寺さんで用意してくれていて、1束100円で火も付けて空き缶で作った線香入れに入れてくれるから、非常に楽だ。
ということで、持ち物はユフィが気に入って買う花を組み合わせた花束と、ジャックがショルダーバッグに入れていく「掃除用具」ということになる。
花は大輪の白菊と彩りの良い小菊、秋らしくリンドウと、我が家の庭に咲いた「臙脂色のダリア」の組み合わせ。
この日、21日は非常に混んでいて、寺の名入りの木桶が足りなかったので、青いバケツで水を用意したのだが、一つ戻ってきたので「気分の問題」でこちらも持って行くことに。
墓に着いたらサーヤが、卒塔婆について知りたがるので、少し説明する。
古いのは最初の法事、一周忌と三回忌、それに毎年の施餓鬼の分、新しいのは今年の施餓鬼のものだ。
説明している間に、ジャックがバケツの水で墓を洗い、墓銘の字の汚れをスプレーの水で落とそうとしていた。
埃だけでなく苔も入っているらしく、歯ブラシでもなかなか綺麗にはならない。
来年は洗剤も必要になるのかも…。
母お気に入りの湯のみ茶碗を綺麗に洗って拭き、花立も綺麗にしてから花を供える。
気分の問題なので、墓にかける水と茶碗の水は、木桶の水を使用した。
かなり時間も掛って、じりじりと太陽は照りつけるし、暑いこと暑いこと。
そんなこんなの内に、線香が半分以上も燃えてしまった。
春は桜を近くのお寺で鑑賞したり出来るのだが、秋は花が…。
お墓に点々と「彼岸花」が咲いていて、サーヤはこれがお気に召したようだ。
真っ赤な花と白い花が見事に咲き競っている。
「曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)」は、サンスクリット語で天界に咲く花という意味だとか。
おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ているらしい。
その反対に、開花時期が秋の彼岸と同じことで、墓地によく植えられることから、「死人花」「地獄花」「幽霊花」のように、ちょっと怖い呼び名もついているようだ。
彼岸花にはアルカロイドという毒があるため、「毒花」「痺れ花」などとも呼ばれているらしい。
帰り際、他のお寺さんの墓に『真っ赤な円い花』を見つけたサーヤ、写真を撮りに行ってきたので「鶏頭・ケイトウ」という名を教える。
「初めて見た」と言うのだが、確かに最近は目にしない花になっているけれど、赤というよりは濃紅に見えるから間違いようはない。
形状がニワトリの鶏冠・トサカに似ているところから、名付けられたようで、様々な花の色と形があるようだ。
予約した天麩羅屋が12時の約束なので、時間つぶしに今までは入らなかったお寺の休憩室で一服する。
そこで見つけたのが、「曹洞禅グラフ」の季刊誌128から130までの冊子。
初めて見たので、「春・彼岸」「夏・お盆」「秋・彼岸」の全部をもらって来た。
春秋の墓参だけではなく、夏のお盆も墓参の時期だし、家によっては新年に墓参する所もあるようだ。
我が家はすっかり「秋春の彼岸に墓参り」が定着したようである。 |