「やま玉」サイトを開設してから我が家に一大イベントがあった。
それが世田谷区の木造一軒家から江東区・湾岸地区の中古マンションへの住み替えであった。
この住み替えは決意表明してから実現するまでに二年以上かかっており、予想外に色んな出来事やトラブルがあったのでこれはネタにするべし、と「住み替え・引越」コーナーを新設してみた。閲覧者の住み替えの参考になればと思う。
特にトラブル関係は長年勤めている不動産会社員も「色んな人は見たけど、こんな人(お隣さん)初めて見た…」と呆れる出来事が多々あったので、一読の価値あり?
さて、住み替えの決意を語るには、まず旧やましたさん家の住宅・通勤事情を説明せねばならない。
やましたさん家は、世田谷区代沢にあり、最寄駅は下北沢駅と池ノ上駅である。
ユフィ母方の祖母が働いて買った土地と家であり(当時、祖父は死去)、後にジャック父がマスオさん(夫が妻の実家に住む意)となって加わり、サーヤが生まれて四人家族で暮らしていた。
(サーヤの学業のために一時的に三人親子で家を出るも、また戻ってきた)
家は祖母が何度か増改築したので、四人暮らせるだけの広さはあった。
最寄駅から数分だし、スーパーやコンビニ、飲食店、薬局、医院、銀行支店などの生活に必要なものが徒歩数分圏内だったので、これ以上の好立地条件はないだろうとこの地を離れるつもりはなかった。
実はサーヤは祖母にとっても唯一の孫であり、両親の一人娘ということもあり、将来を心配した祖母が「自分が死亡した時には不動産をサーヤに譲る(ユフィ母には財産を譲る)」という遺言を残してくれていた。
そして祖母が亡くなって土地・家を相続し、5年が過ぎた頃。
サーヤには三つの悩み事があった。
一つ、築50年の木造一軒家の痛みが激しくなり、今後の維持費と建て替え費用をどうするか?(台風で屋根がはがれたり、ボイラーが故障したりして出費が続いた)
二つ、自分は結婚するか否か?(交際相手はいない)それによっては家をどうするのか考えないといけない。
三つ、自分は会社に定年まで働くかどうか?定年まで今の往復二時間の通勤を頑張るか、老後の資金をどうするか。
しばらく思案した結果、年齢がどんどん過ぎて交際相手なしの生活が続いた結果…
「もう結婚するの面倒くさい」
…と、生涯独身でいいやという決意に至った。
これについては両親は特に反論なし。なんとなーく無理そうだなと諦めてきたらしい。
すると、三つの悩み事は「家」と「会社」に絞られてくるわけだが、独身でいるなら一人で両親の介護もすることになるし、老後のお金も含めて自分で稼がなければならない。
というわけで、会社には定年まで働くことを決意。厚生年金と退職金はしっかり貰わなきゃね!
すると、残る悩みは一つ、「家」である。
「賃貸併用住宅」として家を建て替えて、その費用を家賃収入でローン返済してみよう。
三階建てにして、1~2階をアパート賃貸にして、3階を両親が住み、サーヤは賃貸部屋に住む。将来的にはサーヤが3階に移る。
ローン返済を終えても賃貸収入が続くわけだし…。
いいじゃないか!?
と、家族にも相談し、一時はその目標で考えていた。
だが、会社への通勤事情が変わってきてその決意も揺らいできた。
それが渋谷駅再開発と豊洲再開発。
会社は豊洲にあり、渋谷駅と永田町駅を乗り継いでいくのである。
渋谷駅再開発によって、工事中の所が増えて回り道をせねばならなくなったし、井の頭線から半蔵門線の乗り換えには一度外に出ないといけないので、雨天時は面倒である。
その渋谷駅の再開発はまだ始まったばかりでこれから色んなところが変わってしまう。
豊洲再開発によって、豊洲駅出入りの人口が急増。
入社時にはガラガラだった有楽町線の混雑率がどんどんUPして息苦しいし、ようやく豊洲駅にたどり着いても狭いホームには人で溢れかえり、階段やエスカレーターにたどり着く前に次の電車が入ってくる始末である。
豊洲駅のホームに降りてから外に出るまでに五分かかる状況にちょっとブチ切れてきた。
さらに「地下鉄8号線計画(住吉~豊洲の路線延伸)」も上がってきて、豊洲駅出入り人口はまた急増していきそう。
「こんな通勤生活やってられないわ!!」
一瞬、会社を辞めようかとも思ってしまった。
でもこの年齢で転職しても収入は減りそうだし、近くに転職できるとも限らないし…。
そんなわけで、良いアイデアがないか色々お世話になっている知人に相談してみた。
「中古マンションを購入して住み替えてはいかがかしら?」
エッ?…この土地と家を出ていくことは全く考えていなかったので、いやいやとんでもない!と思ったがよーく考えてみると…。
サーヤにとっての中古マンション住み替えの利点とは…
湾岸地区のマンションに住めば通勤が楽になる。
世田谷区の土地なら湾岸地区の中古マンションが買える値段で売れる。
鉄筋コンクリートのマンションならサーヤの寿命までは維持できる。
会社が近くなれば両親の介護も可能になるし、自分が一人暮らしの高齢者となっても管理できる。
豊洲再開発のため街が発展し生活しやすい環境になっていく。
まぁ、総合的に考えても中古マンションへの住み替えしか選択肢がなかったわけなので、決意した。
「そうだ、湾岸へ行こう」
こうして一家の住み替え奮闘記はスタートするのだった。
このとき、2014年暮れ。 |