●どこで撮ったかよく覚えていないのですが、山梨へ出かけたときに見つけた百日紅だったと思うのです。
さるすべり、に最初に出会ったのは小学生の頃のこと。母が“お寺さんでお施餓鬼があるので一緒に行きましょう、大勢のお坊さんが立ったり座ったり、ぐるぐる回ったりしながらお経するので面白いよ”と言われて出かけたときでした。男5人女1人の6人兄弟だった私の二兄が病死したのが小学3年生の時で、葬儀を頼んだのが葛飾の亀有にあった曹洞宗のお寺、檀家となって施餓鬼に呼ばれたのが縁なので、寺に行ったのは4年生か5年生の時だったのでしょう。
施餓鬼の様子は全く覚えていないのですが、帰りがけ、紅い花を付けた大きな樹があって、母は“これはサルスベリという樹だよ、ほら触るとつるつるしてて、木登りの得意なお猿も滑って登れないので、さるすべりという名前が付いたんだよ”と教えてくれたのを覚えています。このお寺さん、常磐線の近くにあるのでそれ以来、夏になると電車の窓から紅い花を眺め、兄のことをおぼろげに思い出すこともありました。
そんな出会いがあったので、百日紅はなんとなく、お寺にあるものだという思いが強かったのです。でも、これまんざら当たってない事もなくて、最近になってネットで検索してみたら、名所となっているのは圧倒的にお寺が多いことに気が付きました。以来、出張などで夏に出かけるときは、お寺に百日紅がないか探すような習慣にもなりました。紅い花が、お寺の大きな瓦に掛かっているのが、なんとも美しいコントラストで映えているのを見るのが楽しみになりました。
ところで、白い百日紅に出会ったのが十数年前。仕事先の広告代理店へ行く道で、隅田川の近くを歩いている時に気が付きました。初め、白い花が百日紅とは気が付かなかったのですが、園芸の本を見て、白い花もあることを知りました。この通り、歩道に何本も連なっていて、暑い夏の日、所々の日陰になっていて、さわやかさが感じられる通りでした。これが紅い花だったら、さぞ暑苦しい通りになってしまったことだろうと思ったものです。
といった花へのイメージがあったので、鉢植えで百日紅を楽しむなんて思ってもいなかったのですが、白い百日紅に出会った頃、『浅草のお富士さん』で背丈ほどの百日紅の根付きの裸木があったのに出会って衝動買いしてしまったのです。当時お向かいに住んでいたSさんに頼んで成城のホームセンターまで車で連れて行ってもらい、一番大きな鉢を買ってきて植えました。以来10年ほど。さすがに樹が伸びてきて、今の鉢では育てきれないと思っていた頃、このSさん宅が立ち退きとなり、はす向かいのOさん宅がこの土地を庭として広げることに。そこで奥さんにご相談してこの百日紅を植えてもらうことにしたのです。このように「里子」としてもらわれたのは他にも、当サイト『庭』の「我が木蓮は間借り人ならぬ庭借り花?」にも紹介していますが。
●これは里子に出したお向かいさんの花、どうしたことか今年はまだほとんど花を付けていません、これは昨年撮ったもの。
現在は猿もすべるほどの太さに育って、我が家の玄関からは見上げるほどに、二階の私の部屋の窓からは大きく広がった紅い花が楽しめます。
さて、里子に出してしまうと、夏の鉢植えにちょっと寂しくなってしまい、こりもせずに再びお富士さんで小さな百日紅の鉢を見つけて買ってきました。大きくならないように適当に剪定しながら夏を楽しんでいるところです。
●我が家の百日紅 |