古い羽子板と新しい正月飾りでお祝い
昨年暮れのジャックの記事にも出てきた「古い昔のままの神棚」が、二回建て直した義姉の家にはちゃんと祭られている。
最初の家にはもちろん床の間も神棚もあったと思われるし、その古い家を建て直しての義兄の家にも、床の間と神棚はあったように記憶している。
義兄が逝って甥が結婚して2年で、全く新しく二世帯住宅に建替えをした。
1階は駐車場と玄関で、2階が義姉の住居、3階が息子夫婦の住居になっている。
ビル形式の3階建てで、それぞれの考えで間取りは全くの別々。
神棚を祭る場所はダイニングの上で、仏壇の斜め上で並んでいる。
仏壇も古いものをそのまま使用しているから、新築時代にはかなり目立ったけれど、年数も10年近くなると、すっかり落ち着いてきた様子だ。
義姉は、床の間を浅く長く座敷の端にまとめたアレンジに調えた。
東南向きの座敷は明るく、障子の窓がアクセントになっている。
長い床の間の白木の右端に、『歌舞伎の勧進帳』の羽子板が飾られている。
子供の頃に買って貰ったものとか、義姉は男兄弟の中でたった一人の女の子だった為、とても大切にされて育ったらしい。
この羽子板の他にも、京都で買ったという小さな御所風の「雛飾り」も三月には飾られるのだ。
普通なら羽子板と言ったら、歌舞伎でも女形の「藤娘」とか「お姫様」が多いと思われるが、「勧進帳」とはまた渋い好みだ。
何か理由がありそうなので、今度訳を聞いてみないと…。
ユフィも大昔に羽子板市で伯母に買ってもらったが、「お姫様」だったように思うし、また正月ごとに出すこともなかったから、家の戸袋に仕舞ったままになっているはず。
とても大きなしっかりとした造りで、きっと名優の写しなのだと思う。
義姉のことだから、きちんと大切に保管し、正月ごとに飾っていたのだろう。
この写真は、一昨年の「モンゴルからのお客様」であるマーラ親子を招いた際のもの。
まだ幼い男の子二人が、なにしろ日本の家が珍しくて触りたがるので、マーラがソワソワと落ち着かずに早々に帰ってしまった原因でもあった。
そして、もう一つの触りたがった『正月飾り』が、義姉の手造りした吊るし飾りだった。
縮緬の布地を手縫いで小さな飾りに仕立て、吊るしにしたもの。
日本の各地に残っている縁起ものだが、義姉は機械編みのニット作製から、手間無しですぐ作れる「縮緬細工」に変更して凝っている。
厄除けや吉祥の「花や手毬」を始め、「縁起寄せ」と言われる末広・松竹梅など、「吉祥福来」と呼ばれる四季の花、等々の手造りの形が色とりどりに吊るされているものだ。
教室などによっても作る形には変化があるようだが、ネットリサーチだけでも楽しい。
義姉は「本絹の縮緬が縫いやすい」と言うので、母の形見分けではないけれど着なくなった本絹の着物をどっさりと送ったこともある。
ユフィの小銭入れにも、小さな義姉お手製の布飾りが付けられているが、5年以上も前のものなので、そろそろ新しい飾りをおねだりしようかな。
今年は正月に訪ねなかったが、義姉は多分同じようにしつらえたと思う。
「吊るし飾り」はもっと増えたのだろうか。
三月のひな祭りには、昔の「雛飾り」と共に「吊るし雛」も飾られるのかな。
「正月飾り」とは違うものが飾られるのかも知れないから、久しぶりに遊びに行ってみようか…。 |