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雛祭りの絵は 2月から飾る
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昔の掛け軸の写しを色紙に
雛人形の行事はとても古く、その原型は「流し雛」にあるとされている。
「ひとがた」と書く人形は、紙で作った人の形で、「陰陽師」などでも使用されていたもの。
この「ひとがた」に「厄」を身代わりに引き受けてもらい、桃の節句・上巳の日に川に流した「厄払い」から始まったらしい。
源氏物語の中に、若紫・紫の上の幼い頃、「ひいな遊び」と呼ばれる現代の「おままごと」で遊ぶ場面が出てくる。
流し雛と雛遊びが結びつき、一対の男女の紙製立ち雛が出来上がっていったらしい。
そして、技術的な発展もあり、流す雛から飾る雛へと変化し、江戸時代に現在のような段飾りに発展した様子。
この段飾りは、宮中の婚礼の様子を表したもので、女性が結婚したときは持参したものらしい。
このことから、飾る時期や仕舞う時期が取りざたされた様子だ。
雛人形は『春を寿ぐ』意味合いから、立春(2月4日)を過ぎた頃から飾り、3月4日の雛祭りの翌日には仕舞うとのこと。
ということで、雛人形の絵は「3月でなく2月の絵」になっている訳。
細かな話は、当サイト「クローゼット」の『初節句に和服で』にしっかりと書くつもりなので、そちらで確認をどうぞ。
雛人形の絵の話に戻るが、この立ち雛は知人のお宅の掛け軸の写し。
一目見たときから、惚れ込んでしまったものだった。
とても古い家らしく、茶室まであるお宅だったのだが、多分雛を飾る時期に伺ったのだろう。
奥様にお願いして、写させて頂いたのだが、なにしろ古いものなので写し取るのに気を使った。
カラーコピーをとって補助にした記憶がある。
古い絵なので、着物の模様も「松」などの古典的な柄だったのだが、全くの写しではないので柄は適当に変えたりもした。
この雛の色紙は、何枚も請われて書いたので、着物の柄行が少しずつ違っている。
柄行以外の色合いはそのままにしたものが多く、我が家の色紙は「桃の枝」が描かれている。
絵の教室の友人から、「松が良い」との注文に古典的な松で描いたものも、1枚だけは残っているはず。
朱色に金の模様、綺麗な水色の配色、袴の緑のぼかしは原画のままの写し。
金の模様の書き方が非常に難しく、一番細い筆の先で『なでるよう』に描いたっけ。
そして、袴のぼかしがなかなか大変だったので、色紙の出来が1枚1枚違ってしまった。
そして、最大の難関が「お顔」だった。
一番最後に描いたのだが、最大の注意を払い、『可愛らしく品よく古典的に』なったかどうか。
なにしろ惚れ込んだ理由が、『お顔の愛らしさと上品さ』なのだから、手は抜けない。
1枚ずつ、少しずつ、若干お顔に変化はあったと思う。
ところで昔の雛は、内裏様とお雛様の位置が左右違うことに気がついた人はどれくらいいる?
明治時代に、なんでも西洋式に倣って、女性は男性の左側と決められてから変わったのだとか。
そう、現在の皇室の並び方で、美智子皇后は必ず天皇陛下の左にいらっしゃる。
昔は「左が上」という思想だったため、逆になっているのだが、「だから女性が強くなった」という見方もできるとか。
関西地方では「昔の御所のまま」に、お雛様は向かって左、内裏様の右側に並べるしきたりらしい。
女性の強いのは、関東地方ということ?
そうでもないような気もするけれど…。 |
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