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現在刻語事典

其の七 ベビーカーと乳母車

 ベビーカーのエチケットの問題が、昨今話題になっている。ベビーカーを表すマークが制定されて、交通機関などでの対応が改めて、クローズアップされている。
 幼児を持つ親の全てがベビーカーのお世話になっているとは限らないが、いつ頃から登場したものなのだろうか。ウィキペディアによると、1867年に福沢諭吉がアメリカから持ち帰ったものだ、との記述だが、今で言えば車一台買うくらいの値段じゃなかったろうか。
 
 我が家で言えば、サーヤが生まれた時に用意したものになる。彼女は七月生まれ。翌年の一月に、私は10年勤務した出版社を辞め、2~3ヶ月はのんびりしようと(良くも悪くも、のんびりしていられた時代でしたが)次の仕事のあてもつけずに、お風呂にも入れず、おしめも変えず、抱っこすることもあまりなく、ただただ夜中まで働いていた子育て放棄の穴を埋めるべく、何も手のかからない、乳母車の散歩をしていた頃であります。
 近くの公園に散歩へ連れて行く毎日、ここには大きな西洋館があり、前庭に面して広い石畳があって、陽射しが暖かく、不思議と何もしないのに、昼前には腹が空いてきて、やっこらしょ、家に帰る、今から思い出しても、全く充実していないのに、とても幸せな日々でした。そんなことを思い出して、昔のアルバムを久しぶりにひっくり返して、乳母車(この頃はまだベビーカーとは呼んでいなかったと思う)のサーヤの写真を見つけました。
乳母車

 全くシンプルなものです。初めて乗せた時のもので、つかまることも出来ずに、お尻から埋もれてしまうので、こんな格好になってしまっています。それでも、ニコニコ。
 この頃は、もちろん、乳母車で電車に乗るなんていう発想は全くありません。ときたま、兄弟の家にお邪魔する時は、抱っこで行きました。幸い二人で出かける時は、おばあちゃんに預かってもらいましたが。サーヤにこの写真を見せたら“なんとなく青の縞のあるもので、怖かった”というのです、そんなに大きくなるまで乗せた記憶がないのですが。

 もともとの乳母車は、4輪のもので、二人の子供を向かい合わせにのせるものが、お大尽さんの持つ乳母車でした。この4輪車のイメージは、福沢諭吉を遡ること何百年。ナンといっても“しとしと ぴっちゃん しと ぴっちゃん”の子連れ狼。拝 一刀が大五郎を乗せた戦闘用乳母車でした。


 さて、そのベビーカー。特に混雑する時の街中や、電車の中でのトラブルが話題になるわけです。もちろん必要に差し迫られているから利用するのが当たり前なのですが、周囲にとっては、“なぜここに”“なぜ今”という感情があるのも当たり前のことなのですね。マークが制定されたといっても、それで利用者の便は多少よくなることがあるかもしれませんが、利用者側のマナーまでが解消するとは思えません。車内にマークスペースが出来たとして、それじゃ車椅子が同時に乗り込んだらどちらを優先するのか。

 最近のベビーカーはどちらかというとショッピングカーみたいになっているようにも見えます。たった昨日のこと、日曜日の夕刻で、混雑したコンコースで、黒いワンピースを着た母親に二歳くらいの子供がまとわりつくように歩き、少し後をショッピング・ベビーカーをヘラヘラ笑いのアンチャンが押しているという、最悪のシーンを見てしまった後、私鉄に乗ったらほぼ席の無い状態、と、幼児を胸に抱え買い物袋を手にした母親が乗り込んできた。ジャック立とうとしたが、端に座っていたご婦人が譲ってくれた。優先席の前に立つのも、わざとらしいと思ったのではないだろうか。なんと、駅について席を立ったら、優先席は若いものばかり、そのうち二人は、チョー若いミニスカねーチャンがスマホ。この電車もだめだねえ。

 もう一つ、言わせてもらう。この電車、ときどき、マタニティー・マークのある優先席に、何を勘違いしたか、もう生まれてしまった子供と、おとーさんと、ベビーカーで座ってるの見ます。「優先」の意味が違うだろ。

 一昔前まで、駅の放送では“ベビーカーは畳んでお乗りください”とやっていなかったっけ。車内放送で携帯のマナーはもうそろそろやめにして“優先席は本当にあなたのための席なのか、周囲をご覧ください、あなたの代わりに譲る方はいませんか”ぐらいはやったほうがいいと思うんだが。
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