織田信長の 詠いけり
人間わずか 五十年
夢 幻の ごとくなり
か どうか 知っちゃいねえけど
やりていことを やりていな
てんで格好よく 死にてえな
人間わずか 五十年
てんで格好よく 死にてえな
ワッ ワッ ワッ ズンパパー
昔の聖 のたまいき
見ろよ野の百合 空の雲
明日は明日の 風が吹く
か どうか 知っちゃいねえけど
生きてる気分に なりてえな
てんで粋がって 生きてえな
明日は明日の 風が吹く
てんで粋がって 死にてえな
ワッ ワッ ワッ ズンパパー
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これ、62年、当時の「都市センターホール」で上演された、福田 善之 作『真田風雲録』で歌われたテーマソングです。
当時、日米安全保障条約が60年に条約批准、この年の前後から“安保反対”が全国で叫ばれるようになり、「全共闘(全学共闘会議)」を中心とした、いわゆる「怒れる若者達の」の政府に対する運動が激しくなっていた時代です。
こうした若者達の運動を、慶長19年、「大阪の陣」が始まり、徳川と対峙していた豊臣側の劣勢に馳せ参じた、真田一族の若者達の、命を賭けた戦いを舞台に置き換えた公演がありました。
私はこの舞台を見ていて、全員で合唱するこの歌が妙に気に入って、舞台がはねた後もなんとなく口ずさんでいて、それから数日も忘れられなくて、いつの間にか会社の宴会なんかでみんなの手拍子で大声で歌うようになって、私の持ち歌になってしまった次第。こんな歌覚えてる人なんかいないと思うけど、女優の渡辺美佐子さんなら覚えているかもしれません。私この女優さんの大ファンなんだけど、舞台では「霧隠 才蔵は女だった」という設定で、黒の網タイツ姿で飛び回っていました。
冒頭の歌に戻りますが、一番は、織田信長にはいつもついて回る詠いで、フレーズとしては馴染みのものです。二番の歌詞ですが、「聖(ひじり)」というのはイエス・キリスト。これは聖書からとられていると思うのです。新約聖書のマタイによる福音書・マタイ伝にはこんな記述かあります。まずワリと有名な1節。
第六章
二十六節 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これ を養いたまふ。汝らは之よりも遙かに優るる者ならずや。
続いて
二十八節 野の百合は如何にして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。
三十一節 さらば何を喰ひ、何を飲み、何を着んとて思い煩ふな。
三十四節 この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みずから思ひ煩らわん。一日 の苦労は一日にて足れり。
作者がクリスチャンだったかどうかは定かではありませんが、自然に身を任せるという聖書のフレーズが、粋がって生きたいという若者の生き方に、うまく溶け込んだ一節になっているように思えます。
さて、ここで16年のNHKの大河ドラマ「真田丸」。もちろん、真田一族と徳川家康との葛藤の物語になるのは間違いありません。折から15年は安全保障改定の一年で連日の反対デモも大きく取り上げられました。怒れる若者の代表として「SEALDs シールズ」なんてものも現われて、以前の社会風潮と同じような気配も見られました。とはいえ、60年代、デモで機動隊と衝突、血だらけの鉢巻にヘルメットという「ゼンガクレン」の命がけの運動には及びもつかない活動でしたが。
まさかNHKのドラマですから、反政府なんていう構造にならない事は当然ながら、私達の世代からするとどうしても「真田風雲録」を下敷きにしてしまいそうです。どんなテーマになっていくのか、ここ数年、大河ドラマは全く見ていない私ですが、今回は楽しみにしています。
私見ながら、幸村役が堺 雅人っていうのはどうもなあ。人気俳優なのでおよそ1年もスケジュール開けさせた、なんて話も読んだけど、私の好みからいうと絶対、上川 隆也。
「真田風雲録」63年には東映で映画化されています。中村錦乃介が「猿飛 佐助」役で主演、渡辺美佐子は「むささびのお霧」と言う役で助演を務めています。私、もちろんこの映画も見ています。内容はさっぱり覚えていないので、あまり出来のいい映画ではなかったのでしょう。ただし、唯一覚えているシーン。幸村役の、千秋 実が、敗残として野をさ迷い歩き、槍を抱えたまま死んでいる味方の手前でつまづき、この槍に刺されて“格好 悪りい”といって絶命するシーン。これ、案外レアなシーンとして、一部ファンには忘れられないものになっているんだとか。
舞台としての真田風雲録は、今まで、いくつかの公演も行われているようです。真田ブームで16年は舞台が活発化するかもしれません。 |