ジャックの大学の旧友である、細川 智くんは、現在でも現役の役者です。この年代で役者勤めをしているのは、現在直接の交友はないのですが、細川くん以外は、風の便りで、石山 律くんも芝居を続けているようです。石山君は、父上・石山健二郎が新国劇(今はありません)の役者。私が記憶している当たり役として、黒澤 明監督の映画「天国と地獄」で巨漢でスキンヘッドの「ボースン」という刑事の役でした。出自が時代物でしたので、律くんも、卒業後は主に時代劇で映画に出ていたようです。顔つきからすると、所謂、悪役が多かったみたいですが。
「天国と地獄」より 石山 健二郎(中央)
石山 輝夫 (旧名・石山 律) |
(石山律さんは旧名で、現在は石山輝夫に改名しています。ドラマ「相棒」にも数回出演しているようですね。byサーヤ)
ところで、細川君、当サイトで「娯楽室 ステージ」の項で恋川 純くんの記事の中で紹介していますが。29年の2月、久しぶりに大阪で会った時のこと。
じゃんじゃん横丁の「づぼらや」で「てっちり」で燗酒飲みながら細川が“おれもいつまでも半端な芝居続けられるわけじゃなし、一発、半世紀ぶりにだんじり囃子やるつもりなんだ、小屋(劇場)も抑えてあるし、日程も決まってる”って言い始めた。「だんじり囃子」は劇作家・北条秀司の名作。今回は企画と演出、勿論芝居にも出演するというのです。そりゃ、東京から駆けつけなければいけません。その場でチケット予約、多くのスタッフの宿泊も予定しなければならない、というので、ホテルの予約まで依頼することになりました。公演は11月、芝居ってこんなに早くから、手を打たなければならないというのを、改めて知らされました。“チケットの予約第一号だな”と細川くん喜んでいました。
11月になって、そろそろ新幹線のチケットを用意しようか、と思っていたところで細川くんから電話。“予定どうりでだいじょうぶ?”予定通りだよ、と答えると“実は、今病院から架けている、一ヶ月前くらいから体調悪くて、精密検査してもらったら、なんと、悪性リンパ腫だって言われて、抗がん剤の治療中なんだ”と、更に“なんとか舞台まで保たせてくれ、公演が追悼公演にならないように、って医者には言ってるんだけれど”。
こんな大事なことを電話で、と思ったのですが、それにしては声は元気そのもので、冗談かとも思ったのですが、電話が出来る時間が限られているので、と通話できる時間の指定もされて、事実を納得した次第。
上演は大丈夫かと聞いたのですが、芝居は大体出来ていて、あとはブタカンに任せてあるので大丈夫とのことだったのです。
さてこのブタカンですが、じつは舞台監督のこと。新劇にしろ商業演劇にしろ、上演には欠かせない重要な役目です。初日の緞帳が上がった後の舞台は、全てブタカンの役割。セットの出し入れ、小道具が不足していないか、衣装は揃っているか、照明のきっかけは間違っていないか、不測の事態に備えているかなど、全てに気が回らなければなりません。舞台稽古から始まって楽日の緞帳が下りるまでの責任者です。
このブタカンには、細川くんにはこんな思い出がある、と聞かされたことがあります。彼が現役で新国劇に参加していた時代、東京の新橋演舞場での公演に望んだ時のこと。私たちの同期に中川という者がいました。お互いに卒業の後は動静が分からなかったらしいのですが、偶然稽古場でばったり出会って“おう、なかがわ”と呼んだそうです。其の数日後まで、事あるごとに“なかがわ なかがわ”と言っていたら、なかがわが“ほそかわ、頼むから呼び捨てにするのやめてくれないか、おれ、ここではセンセイと呼ばれてるんだ”と言われて思わず笑っちゃった、というもの、演舞場のブタカンさん、はかなりの実力者だったのですね。
当日、和歌山在住のテラシマ君とホテルで待ち合わせ。彼も同級生、10数年ぶりにあった。小屋は、なんばグランド花月に付属した「YES THEATER」。グランド花月は、吉本興業の拠点的劇場、漫才、落語、新喜劇など大阪の娯楽の殿堂といわれるところ。
予定通り病院から楽屋入りしたらしい。入院も長いので、舞台上の動きも勿論、声が出るかと心配しましたが、イタツキで登場してから、フィナーレまでの3時間あまり、声もよく通り、さすがに動きは制約してもらった(自分の演出だからどうにでも出来たのだろうが)ように見えましたが、無事初日は終了でした。因みに「イタツキ」は芝居の用語で「板付き」のことで、緞帳が上がった状態で舞台に立っている役者のことを言います。
細川くんがこの上演を思い立ったのは、46年前の新国劇での上演があったからだといいます。当時、劇団は島田正吾と辰巳柳太郎の二人が座長。細川くんが師事していたのが辰巳柳太郎で、上演に際しては勿論主役の重助役、そして、準主役の次男・万次郎に抜擢されたのが、細川くんだったのです。しかし、彼は大阪弁なんか一言もしゃべれなかったのですが、作者の北條秀司(当時、業界の天皇といわれ、畏怖されたほどの大御所)の“お前には大阪の匂いがする”という一声で決められたそうです。
パンフレットの左ページ、二段目の左端で踊っているのが46年前の細川くんです。
パンフレット順に出演者紹介します。主役は渋谷天外さん。大阪の演劇界の重鎮。辰巳柳太郎のあとを継ぐのは彼しか居ないと、頼み込んだとか。細川君のプロデュー力も大したものだと思うのです。
女優のメインは菊池麻衣子さん。映画もテレビもかなりの出演を数えますから、誰でも一つは見ているでしょう。ネットで検索しても、Wikipediaにかなりの行数取られているくらいです。数年前、細川くんから“今、コマに出てるんで飲みに来ない(新宿コマ劇場=今は無い)”と呼び出されて行ったのはゴールデン街の店。細川くんと隣り合って飲んでました。挨拶くらいしかしませんでしたが、仕事のインタビューを除いて女優さんに逢うのは初めてで、ガラにも無くちょっと緊張。細川くん、この頃から、キャスティングにかかっていたのでしょうか。
彼女は、全出演者の中で、唯一大阪弁ができない人だったのですが、舞台ではなかなかの女将役でした。猛練習したようです。
そしてこのパンフレットの出演者紹介は、細川くんが独白で、全て自分の手で書いています。実は数年前、離婚していた川上さんなのですが、彼はネットワークで最近、彼女がある大阪在住の彼とラブラブ、とパンフレットに書き込んでしまったため、初日当日、大阪のマスコミが大勢楽屋に押しかける、いうハプニングもありました。
恋川 純さん、大衆演劇の舞台しか観ていませんでしたが、こうした商業演劇でも、きびきびした演技で、この万次郎役にぴったりでした。日頃から、細川くんが新国劇で得たことを伝授している役者、自分の昔の当たり役を見事に演じて、満足のようでした。
恋川さんの真骨頂は舞踊ショー。般若の面の早代わりは特筆物。この日、客席前部は彼の女性ファンで占められていて、さすが芝居の間はおとなしかったのですが、ショーが始まるや大騒ぎ。チケットの売り上げにも大いに貢献しているとは、プロデューサーの細川くんも認めているところでした。
監修に名を連ねている小西良太郎さん。スポーツニッポン新聞の芸能、音楽の部長を長く務め、「日本レコード大賞」の審査委員長も長く務めた、業界のドン。彼が賛辞を書いている「智(ちい)っちゃん」はさとるの読みを音読みにした愛称。その昔、細川くんは藤田まことさんと仕事をしていた時期があって、彼から呼ばれた愛称が業界での通り名になったようです。川中美幸さんの座長公演で楽屋が一緒になったのが縁で、今も友好が続いています。
因みに、小西さんの近著に「昭和の歌100 君たちが居て 僕がいる」 幻戯書房
2.600円 413ページを数える大作です。
小西良太郎 幻戯書房 売り上げランキング: 124,643
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