やましたさんちの玉手箱
ユフィの記事
読切
Powered by fun9.net
TOP > クローゼット > ユフィの手作り

七五三はお色直しで

三歳の七五三は、和装洋装の両方で


お宮参りをした地元の神社で、三歳の七五三を祝った。
振袖は母からの贈り物。
白地に花模様の振袖は、サーヤの個性にはおとなしすぎたような気もするが、真っ赤な被布が愛らしかったので救われている。

この赤い被布は、七五三のために購入したものでないように思う。
前年の初詣の着物姿でも着ているからだ。
幼児の和装にはよく見る被布は、きちんと『由来』があるようなのだ。

まずは七五三の年齢の由来から入ってみよう。

三歳は髪置きで、この歳までは髪を剃っていたのが、長く伸ばすことからの儀式。
五歳は袴着で、初めて袴を身に着ける儀式。
七歳は帯解きで、着物を着る際の紐を帯に変える儀式。

江戸時代までの七歳前の子供は、紐で着物を簡単に着ていたらしい。
着物の腰部分に左右紐を縫い付け、後で結んで着る方法。
時代劇などでの幼児は、この着方をしている。

簡単でしかも着崩れしにくい方法なのだが、儀式にはなんだか向かないのも確か。
帯は広くて胸が苦しいことから、幼児に楽なように腰部分が見えない被布が選ばれたようだ。
七歳からは昔風に言えば、半分大人扱いになる訳で、帯を巻いて結んでも大丈夫と言うわけ。

七五三の三歳児の着物は、昔風にキチンとするなら「お宮参りの初着」を利用するのが正式らしい。
その為に大きく仕立てられていて、着物の融通性が発揮されるわけ。
肩上げや腰上げをして着せるらしいのだが、流石に七歳では無理があるらしい。
五歳の男児の場合は、体格にもよるようだが着用は可能らしく、袴や羽織を別誂えにするようだ。

我が家の場合は、サーヤが夏生まれだったため、洋装でお宮参りをしたため「初着」はない。
母が用意しておいた白地の振袖は、初着ではないのだが、かなり早めに用意してあったのだろう。
お洒落で「似合うもの選び」が得意な母らしからぬ、おとなしい模様だからだ。

赤い着物に白やピンクの被布姿が多いのも今風らしく、ネットリサーチでは配色にこだわりがある様子。
被布も今風のデザインで、可愛らしさは倍増している。
当然ヘアメイクにも話は及んでいて、付け毛や髪飾りにまである。


サーヤも一応口紅はひき、髪も和風に結い上げているし、草履もちゃんと履いて小さな手提げまで持っているから、やはり母らしい心遣いだったのだろう。
サーヤも厭な様子はないから、それなりに満足していたのか?

お宮参りが終わって帰宅後、「お色直しのドレス姿」に変身。
このドレスは、当時仲良くしていた友人から頂いたベルベットの生地での手づくり。
その代わりユフィがその友人のお嬢さんの七五三のドレスを作ってあげたから、お揃いのものだ。


当時は近くにお住まいで、親子ともども気が合って、お互いの家に行ったりきたりしてよく遊んでいた。
このベルベットの生地は、ご主人の海外土産の生地だったのではないかと記憶している。
大人用の一着分を、3歳児の2着用にしたから、色合いが少し紫がかったピンクで子供向きではない。

サーヤは丸顔なので、衿はノーカラーにしてこげ茶のベルベットリボンと白いレースを飾り、11月なのでケープも作っている。
丈は2~3年は着られるように、長めにしてあるから着たのだろう。


友人のお嬢さんは、サーヤとは正反対のタイプで、すっきりとした細い身体で首が長かった。
ハイネックのロングドレスで、こげ茶のベルベットリボンをアクセントにした大人っぽいデザインにした。
ケープも腰までの長いものにしたので、更にハイセンスな装いになったと思う。

とても喜んでもらった覚えがあるが、引越しでお別れして以来、外国へ家族で移られてそれっきりになっている。
多分サーヤは覚えてはいないだろう。

次いでなのでリサーチしてみると、3歳ドレスもすっかり今風。
白や黒が多いし、シフォンなどのふんわり軽い素材やレース使いのドレスが溢れていた。
個性的なドレスも多い中、白とピンクの組み合わせもしっかりあり、基本のシンプルなドレスに、サッシュやリボン・造花は別売りというものまであるのだから、まるで「花嫁ドレスみたい」で今の子供達は幸せなのだろう。
Powered by amaprop.net
▲ページTOP